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日本でLGBTビジネスは成立する?

どうも、英司です。
本日からいよいよ梅雨入りだそうですが、皆様いかがお過ごしでしょうか。

いやはやこの梅雨が空ければ夏ですね。
今からとても楽しみです!!

■日本でLGBTビジネスは成立する?

ずっと前に「LGBT市場は本当に存在する?」というエントリを書かせていただきました。
今回はその続編的位置づけです。

※注意!!けっこう夢のない話しになりそうです(笑)※

ここ数年、LGBT向けのあらゆるビジネスを見てまいりました。
その中で、現段階での自分なりの一定の見解を書きとどめておきたいと思います。

僕の解釈では…

日本でも、LGBT市場は存在するが、LGBTビジネスは成立しない。

というのが現実的見解ではないかという考えに至りました。

以前から折にふれて話題にあげてきましたが、一般的に多くのゲイは何歳になっても独身男性と同じ金銭感覚ということになりますから、仕事での収入が上がって本来子育てや養育費にかかるようなお金も、自身への投資やファッション、娯楽、旅行、カルチャーなどへ使うお金が比較的多くなる傾向があるという話題を何度かこのブログでもさせていただきました。

これが一世代前であれば、結婚圧力が強く、会社によっては結婚しないと昇進できないだとか、親戚から浮いてしまうだとかいう話もあり、世間体を気にした望まない結婚をする人も少なくなかったようで、自分のセクシュアリティに正直に生きる人の割合は今と比較して低く、また正直に生きるにしても独身男性が消費や娯楽に多くのお金を使うことに対して世間の目も厳しく、今ほど自由に堂々とはできなかったのではないかと言われています。

ただ、徐々にそういった価値観は変化し、世間体を気にした結婚よりは、自分らしく生きることを選択する方が一般的となり、現在はセクシュアリティに関係なく結婚するかしないかということも個人の自由な意志決定で行われるべきで、年配者などは内心どう思っているかは知らないけど、一応建前上、結婚の有無で昇進や昇格を判断したり、人間性の良し悪しを決めつけるのはよくないことだ、という"建前"はできつつあります。

こうした時代の訪れとともに、自由な消費活動を行うLGBT(と言ってもこの場合ほとんど正規雇用の男性同性愛者)の経済学的な視点からのアプローチがここ数年くらいの間に非常に活発になり、大手のシンクタンクなどが軒並み「日本国内のLGBT市場は●●兆円規模」なんて調査結果を発表するなど、にわかに盛り上がりを見せていました。

こうした調査結果を受け、数年前からこのLGBT市場という巨大なブルーオーシャンを狙った資本の動きが活発化。あらゆる分野において「LGBT専用」とか「ゲイ向け」のなんちゃらっていうサービスが生まれていきました。

ただ、これらの動きは最近は沈静化し、下火になりつつあります。
その理由は単純明解で、「商売が成り立たなかったから」というのが最大の理由です。

■ゲイは都合の良いお客さんじゃなかった

確かに、可処分所得が同年代の既婚男性よりも多く、ファッションやアート、カルチャーの分野にかけるお金も多いゲイというのは、企業側から見れば非常に良いお客さんのように写ったのでしょう。

なので、「ゲイ専用●●」なんていうものを作ったら、簡単に多くのゲイが飛びつき、支持され、多額の儲けを出せると考えたのでしょう。

ただ、そのほとんどは多額の儲けはおろか、多くのゲイには支持されず、ひどい場合は話題にも登らずに消えて行ってしまった。

「ターゲットも明確に定め、広告やPRもちゃんと戦略を立ててやったのにどうしてダメだったんだ…」

と頭を痛めるPR担当者も多かったかと思います。ただ、これには非常に根本的な誤りがありました。それは、思っていたほどゲイは都合の良い消費者ではなかった。ということです。

つまりどういうことかと言いますと、これを「ゲイ」と限定するから話がわかりづらくなるので、「ゲイ」という母集団を行動経済学的に定義してみたいと思います。すると…

「同年代の既婚者よりも可処分所得が多く、趣味にかける金銭的・時間的余裕が比較的あり、これまでにも娯楽や趣味に関する消費行動をたくさん行ってきた独身男性たち」

ということになるかと思います。

もうおわかりいただけたかと思いますが、こうした母集団をマーケティング対象として考えたとき、もう誰も絶対に新規参入なんかを考えない超レッドオーシャン層であるということです!

少しでもマーケティングやPRをかじった人であれば、こんな激戦区に新規参入サービスが勝てるわけがなく、仮に市場に食い込むためには、もう天文学的数字の資金投入が必要になるくらいの最難関市場と言えます。

消費行動に非常に慣れた人たち、ということになりますので、当然良いものに対する目利きや新しいもの、楽しそうなものへの情報感度もかなり高い。

また、こうした消費行動に慣れている層の人たちであればあるほど、結果として例え同じ商品の購入を決めたとしても、誰かに提供された限定的な選択肢の中からその商品を選んだのと、無数にある混沌とした情報の中から自分の意志でその1つの商品を選びとったのとでは、満足度や納得感がまったく違います。

その主たるものが「旅行」でした。

これまで、LGBT市場の議論が起きるたびにいくつも「ゲイ限定の旅行サービス事業」というのがあちこちに立ち上がりました。

僕自身も旅行はとても好きですし、僕の周囲の友達も旅行が大好きな人がとても多いです。肌感覚ですが、ゲイは旅行好きがとても多い気がします。だからこそ、LGBT市場を狙った旅行事業を行う事業者が多数現れたのも理解できます。

しかし、ビジネスとして成立し、継続的事業として収益化した例は日本では確認されていません。

それもそのはずです。ゲイで旅行好きな友人たちの多くは、パックツアーなどではなく航空券やホテルを別々で手配する個人旅行・自由旅行と呼ばれる形式の旅行を楽しむ人がほとんどで、事前に観光スポットから現地のゲイが集まる場所まで口コミやネットなどで細かく調べていますよね。

こうした旅行は回を重ねるたびに味をしめて上手になっていき、どんどん自分好みのハンドメイドな旅行を自分で組み立てるようになっていきます。中にはあらゆる国の飛行機に乗ってみたいからと、敢えて行く先の国の航空会社からしかチケットを買わないという人もけっこういるし、乗る飛行機の機体にまでこだわりを持って、「今度あそこへ行くの、A380で行くんだ~」なんていうちょっとオタッキーな会話をする旅行好きのゲイの会話なんかもしょっちゅう聞きます。

ゲイの旅行市場の現実は、これくらい飽和・成熟した市場なので、ここで勝負できる方法は2つ。

1つ目は、よほど先進的で誰も聞いたことのないような情報を提供できる事業者がゲイ向けに旅行を企画提案する。

ただ、これは現実的に非常に難しいと思います。旅行に行くときのゲイと言えば、事前に一般的な旅行サイトをチェックするのはもちろんのこと、実際にその国や地域に行ったゲイの人の個人ブログまで細かく調査し、2泊や3泊の滞在期間に少しでも最大限楽しめるように非常に敏感な情報アンテナを立てています。

すでにかなりの情報収集力を持っているその層に対して新たな情報を提供するというのは、少し現実的ではないと思います。


2つ目は、現在の市場に出回っているよりも非常に低価格で同じサービスを提供すること。

レッドオーシャン戦略でもっとも安全牌なのがこれ。他社よりもコストカットし、例え利幅を狭くしてでも薄利多売で体力勝負で頑張る。という単純な戦略です。

ただ、これも現実的ではないでしょう。
エクスペディアやアゴダと言ったサイトを見ると、すごくいい雰囲気の海外のホテルが驚くような値段で予約ができます。
また、最近では近隣の国にはLCCを使えば数千円で行けてしまう時代です。JALやANAの大手キャリアや新興の中堅航空会社もこれに危機感を抱いており、チケットは叩き売り状態(実際僕も今月に韓国に行きますが、週末を挟んでも片道7500円という破格値です)。

そのたたき売り状態のチケットを更に旅行会社が大量購入して、より安い値段で市場に出すなど、旅行業界は今、これ以上の価格破壊が起きたら業界全体が疲弊して共倒れしてしまうほどの消耗戦に入っており、ここで価格で優位に立とうとするのはほぼ不可能です。


つまり、日本の市場で言う「LGBT」とくに「ゲイ」の世界で支持されるサービスや商品はひどく難易度が高いものであり、従来の商品やサービスに「ゲイ専用」という接頭語をつけても、多くのゲイはまったくピンと来ないどころか、むしろそうした限定的な情報の中からではなく、無数にある従来のサービスの選択肢の中から、自分の好きなものを選んだ、という満足感を得たいと無意識的に考えている。

特に日本の場合、欧米のような強烈なカップル文化の価値観が存在しないため、高級レストランやホテルのパーティなどに1人や友達同士で訪れても、誰もなんとも思いませんし、ゲイであるが故に受けられないサービスというものがほとんどない。

最近は結婚式でさえ、お金さえ払えばやらせてくれるところも増えています。

これが、ゲイであるがゆえに受けられないサービスや購入できない商品があったとして、そこで初めて「ゲイ専用」のサービスであることに意味が出てきます。

つまり、日本には非常に莫大なゲイ市場があるにもかかわらず、ゲイビジネスはなかなか成立しないというのが現実的な見解ではないのでしょうか。


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拝啓 真崎航さま。

どうも、英司です。
いやはや、そろそろ梅雨入りを思わせるような天気が続いていますが、皆様いかがお過ごしでしょうか。

■少し遅れてしまいましたが…。

先日5月18日は、故・真崎航さんの一周忌でした。
※真崎航さんについては、昨年の小生のこちらのエントリをご参照ください。

特に何かの催しがあったわけではないのですが、あれから1年、個人的に静かに彼のことを思い出していました。

昨年、4月にあったバンコクのソンクランに体調が悪い中ご出演され、その直後、緊急入院されたのを覚えています。
僕は航さんとは特段親しい関係というわけではなく、昨年のエントリに書いたときの出来事をきっかけに少し連絡を取るようになったくらいでしたので、特に少人数で遊んだりしたことはなかったです(本当は一度くらいクラブイベントやジム以外の場でゆっくりお会いしたかったですね)。

ただ、入院されたという情報を聞いて、「入院したそうですけど大丈夫ですか?」とLINEでメールをしたところ、「もう手術も終わったから大丈夫!なんかじっとしてるのがダメな性格みたい。早くイベントに戻りたいな~♫」というようなことを言っていました。

そのときは「ああ、無事だったんだ。良かった!」と思っていましたが、あれがご逝去される2週間くらい前にしたメールで、現実もメールも含めてそれが航さんとの最後のやりとりになってしまうとは、予想だにしていませんでした。
きっとあのメールも、病で苦しみ、先が見えない中で無理をして書いてくださっていたのかと思うと、とても心が痛みます…。

昨年のエントリに書いた、レスリーさん逮捕の時の一悶着で航さんと協力させていただいたときは、彼は29歳で、僕が28歳になる前夜のことでした。

あれから夏がきて、秋が訪れ、冬を越して、僕は29歳の誕生日を迎えて、また春が来て新しい一年が始まったって言うのに、航さんは29歳のまま。決して追いつくはずのない年齢が、なぜか彼に追いついてしてしまった。

来年になれば僕や同年代の友人たちは、30歳、31歳って歳を重ねて行くのに、航さんだけずっと29歳のままなんです。

とても男盛りで美しい姿のままで記憶に保存されてしまっているからこそ、なんか悲しさや切なさ、やるせなさにも拍車がかかってしまって…。

航さんはご自身の考えや意思をきちんと持っていて、臆せずそれを発信する勇気も持っていました。
僕は彼がご生前、正直言うとそうした彼の姿に少し畏怖の念といいますか、ある種のオーラを感じていましたし、新宿のイベントや中野界隈でお会いしたときも一種の「風圧」のようなものを発している人だったと記憶しています。

あれから1年。本当にいろんなことがありました。
大変な激動な1年でもありましたし、辛いことも楽しいこともとてもたくさんありました。

ただ、もし一周忌で航さんが三途の川のこちら側に帰ってきているとして、一つだけ言えることは、昨年よりもきっと自分は大きくなっているし、自信もついてきて、仕事もプライベートも1年前よりはずっと質が向上したっていうことだけは断言できるのがせめてもの救いです。

そしてもし航さんが帰ってきているのだとしたら、これだけはどうしても伝えたかった。

「どうすることもできず、困った状況になったときに、こんな自分のことを思い出してくれて連絡をくださったこと、本当に嬉しかったです。ありがとうございました。」と。

そして、昨年航さんがご逝去されたときに約束した通り、残された者の1人として、しっかり自分の人生を一生懸命生きてますよ。幸せになるためにたくさん努力して、たくさん遊んで、たくさん笑って、たくさん悩んで…。

少しでも自分の人生や自分と関わる人の人生が笑顔や幸福感でうめつくされるように、まだこの先しばらくは生きることを許された者の1人として、ちゃんと毎日努力してますよ。「生きる」ことを毎日一生懸命謳歌していますよって。


僕には、航さんのような美貌やオーラもなければ、カリスマ性もないし、天天みたいなお互いを想い合う大切な恋人もいません。

実際のところ彼氏なし、土地なし、金なし、筋肉なしの彼の足元にも及ばないような一小市民ゲイですが、早くに三途の川のあちら側の世界に召されてしまった、生きたくても生きられなかった同年代の仲間に顔向けして恥じない生き方をしなくてはならないし、毎年5月18日は、今の自分はちゃんとそういう生き方をできているか?と、自問する日にしていきたいと思います。

次に航さんにお会いできるのは、もしかすると僕はもう年金ももらい終わり、腰がまがって杖をつくお爺ちゃんの姿なのに、航さんだけ29歳の青年の姿だったりして(笑)

それはちょっと癪に障りますが(笑)、でも、またいつかお会いできた日に、「遅くなってしまいましたが、僕の人生めちゃ充実してましたよ!」なんて報告ができればいいですね。


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僕の好きな季節について

どうも!英司です。5月も後半に入り、日に日に日照時間が長くなってきましたが、皆様いかがお過ごしでしょうか。

こちらは今週末、まだ2014年度はスタートしたばかりの森のビアガーデンの予約がとれたので行ってきます!ビアガーデンに行ける季節が来たあたり、本当に夏が近づいてきているな、と実感しますね。

■夏が好きだけど…

僕は夏が大好きです。火照るような暑い日差しはそんなに心地よいものではありませんが、夕方遅くまで外は明るくて、海やプール、ビアガーデン、旅行、BBQ、花火大会などなど…楽しいイベントのほとんどは夏に集中してるように思います!

だけど、僕はずっと昔から夏が好きだったわけではありませんでした。
というか、むしろ夏はすごく苦手な季節ですらありました。

■明るいところに行くと劣等感が浮き彫りになるから

こういう話をするには僕はあまりにも若くないし、30歳手前の大人が劣等感云々なんていう自分語りは非常にイタイ感じなんですが(笑)、このブログの読者さんからメッセージをいただくたび、僕の中では「過去の出来事」として思い出の1ページになっているような自分のセクシュアリティやアイデンティティ、周囲の友達との違いに悩んだ青春時代のことが、まったくもって「過去のこと」なんかでなく現在進行中にある若い方なども多いことが最近になって非常にわかってきていて、思い悩んでこのブログに辿り着いた方へ、何かしら楽しい青春の一助になれればと思ったので、今回このエントリを書こうと思いました!

僕が夏を一番好きな季節だと思うようになったのは、意外と遅くてたぶん社会人になってからです。19歳の秋くらいに初めてゲイの世界を知ったわけですから、19歳の夏までは自分のセクシュアリティに思い悩み、自分以外のゲイとも会ったことがない、孤独な状況にいたわけです。

高校生の時も大学生のときも、クラスや部活、サークルに仲の良い友達は多かったのですが、みんな10代後半の若者なわけですから、誰が気になるとか誰が好きとか、やはりそういう話題が中心になる時間は少なくないわけで。

しかも、夏ともなれば日照時間も長くなり、遊ぶ時間もグンと長くなります。男女においても出会いの機会は増え、気持ちも開放的になり、周りのノンケの友人たちもひと夏の恋だのなんだので盛り上がるわけですね。

(変な意味ではなくてw)僕はそんな友人たちが好きでしたし、一緒にいて楽しかった。だけど、自分のセクシュアリティが人と違うんではないか、っていう疑いが強くなればなるほど、周りの友人たちが自由に恋愛を楽しむ姿を目にすると、同じことができない自分になんだかものすごく劣等感を感じてしまい、その機会が最も増えてしまう季節が夏でした。

友人たちと他の話では打ち解け合えるのに、恋愛や女の子の話だけは自分から話せることも少なくなり、話を振られても、どこかで聞いたような情報をつなぎあわせて、気付かれないように適当に話を合わせていたりして、なんだか嘘をついているような気分になって悲しくなったし、そういう後ろめたさが、更に劣等感を上塗りしていきました。

ゲイ業界デビューをその年の秋に控えていた19歳の夏までで、もちろんサークルやクラスの人とプールや海に行ったり、BBQや旅行に行ったりと夏らしいことはしていたけど、なんとなく「触れてはいけない不発弾」みたいなものをどこかに抱えているような感じで、心の底から安心して夏の行事を満喫できていたかどうかは怪しい部分もありました。

そういう事情もあって、学生時代の「夏」に対する印象はすこし憂鬱な季節、というものだったように思います。

■遅まきながら夏を楽しめるように(笑)

20歳、21歳の夏はゲイデビューを果たしたあとなわけですから、それ以前よりも楽しい夏を過ごせましたが、どうも学生の頃はあの長い長い夏休みを持て余していた感がありまして、本当に楽しめるようになったのは社会人になってからだったと思います。

一言で夏、と言っても、社会人になるとほぼ土日しか自由な時間がないわけですから、実質7月、8月の土日祝日を合計しても20日もないわけです!(しかも7月の前半はまだ梅雨なので夏っぽくはありません)

さっき上で書いたような海だのプールだのビアガーデンだの…という夏らしい楽しいイベントが土日に集中するため、実質「20日しかない夏」を存分に楽しむようになりました。
周りの友達も社会人になるとそうなって行って、自ずと遊び方、お金や時間の使い方も似てきて、しかもやはりゲイの世界も開放的な気分になる人が増え、出会いやイベントの機会もグッと増える。

でも、今度はあの頃みたいな劣等感を感じることなんかぜんぜんありません。
無理に話題を合わせたり、嘘をつく必要もなくなったし、純粋に夏のイベントなどでの新しい出会いなどを楽しめるようにもなったんですから。

まぁずいぶん美化するとこんな感じですけど、実際のところは本来10代の頃に経験するような夏の思い出を三十路手前になってやっと経験してるっていう話なんですけどね(笑)

でもいいんです。人生において享受する権利がある幸せや楽しい時間の総量があらかじめ決まっているんだとしたら、それを最大限に享受したいと思うのが人間だし、10代の頃に一部享受しきれなかった部分の楽しさがまだ残っているんだったら、むしろもう「若者」でもなくなってきた今になってその時のぶんのものを味わえるなんてめちゃめちゃラッキーなことじゃないですか。

そんなわけで、今年の夏はどんなことが起きて、どんな思い出ができるかとても楽しみです。

もし今自分のセクシュアリティに悩んでいたり、物理的にこういった業界にデビューすることができない若い方がこのエントリを見ていたとしたら、どうか安心してほしいです。

その悩んでいる今の自分の気持ちや考えたこと、今は苦悩と感じていることも、大人になれば古き良き思い出にすらなりますし、もしそれで楽しいはずの青春時代を周囲のみんなみたくちゃんと謳歌できていない、と感じているのであれば、大丈夫!!ここに遅まきながら楽しんでいる痛い三十路近くのゲイがいるし、新宿界隈のゲイコミュニティを眺めてみても、皆同じようなものだと思います。

このブログも『陽のあたる場所へ』という名前ですが、陽のあたる場所はなかなか楽しいものだと思いますぜ!


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セクシュアリティに悩む皆さんへ

どうも、英司です。
桜の季節も終わりまして、ゴールデンウィークも近づいてまいりましたが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。行楽の季節ですので、お出かけしたい気分ですね~。


■自分のセクシュアリティに悩む皆さんへ

このブログの読者には様々な方がおりますが、今回はまだ自分のセクシュアリティを受け入れきれずに悩んでいる若い方へ向けた内容となります。

あまり上から目線であれこれモノを言うのは好きではないのですが、そのような印象を与えてしまったらすみません。


■その「カウンセラー」は本当に大丈夫?

「カウンセラー」という職業は、「コンサルタント」や「アナリスト」などと同様、厳格な使用規定のない呼称であるため、いくらでも自称することが可能。そのため、専門的な知識やスキルを有していない場合であっても「カウンセラー」を名乗ることは可能で、こうした自称心理カウンセラーによる消費者問題などが密かに社会問題化しつつあります。

何もこれは消費者問題に限ったことではなく、性的少数者の社会でも十分注意すべきことだと思います。

最近、同性愛に関する言説の急速な増加に伴い、性的少数者向けのカウンセリング、電話相談を行う団体などが複数現れました。こうした流れは本来歓迎すべきことですが、手放しで喜べるようなことでもないようです。

本来、カウンセラーという職業には2014年4月現在の時点では国家資格は存在しないものの、その職域が人の身体や生命、生活に重大な影響を及ぼすため、高度な専門知識を要します。
そのため、行政やそれに準ずる公的機関などが言う「カウンセラー」は、高度な民間資格を取得した人や大学等で所定の養成課程を修了した人のことのみを指し、主に臨床心理士、認定心理カウンセラー、認定心理士、産業カウンセラー等のことを「カウンセラー」と呼んでいます。

ただ、任意団体やNPO等が「カウンセラー」という言葉を使うとき、必ずしも行政等と同じ基準でこの職域を自称しなくてはならない規則等はなく、事実上誰でもこの職位を名乗ることができます。

「カウンセリング」は本来、膨大な精神医学や心理学によって導き出されたデータをもとに構築された科学的なメソッドであり、専門的なスキルを持ち合わせていない人個人の経験に基づいた主観的アドバイスなどとはまったく性質の違うものになります。

むしろ、主観的な教訓などのみの知識しか持ち合わせていない「カウンセラー」の場合、逆に相談者を苦しめる場合などもあり、悩みや迷いを抱えている人は冷静な判断ができず、誤った方向への誘導的なアドバイスなどになることもありえます。

こうした悩みや迷いを抱えていて、判断能力が落ちている人に対する催眠商法や宗教、政治運動への勧誘なども問題になっており、状況が悪化する例が目立ってきています。

性的少数者の場合も、昨今は「性的少数者向けのカウンセリング」を名乗り、無料相談などを行っている団体も多く出てきましたが、中には専門的スキルを有していない人が対応をしているケースもあるので注意が必要です。

もしあなたが自分のセクシュアリティに悩み、精神的に辛い状況で誰かに悩みを打ち明けたい場合は、ぜひお住まいの地域の保健所や自治体が主催しているカウンセリングの門をまずは叩いてみることをオススメします。

そこでは性的少数者であることを笑われることも、からかわれることもないし、苦痛を取り除くための適切な対処法を持ち合わせた専門家が相談に乗ってくれます。彼らは行政機関の職務規定によってそこで得たプライバシーや個人情報、相談の中身の秘密を守ることを義務付けられていて、絶対に誰かに知られることはありません。万が一、相談内容や個人情報の一部が外部に漏れることがあれば、当該職員や責任者は厳しく罰せられる緊張感の上で業務を遂行しています。

そこだけで解決しない場合は、適正な専門的スキルを持ち合わせた医師であったり、他の機関であったりと、行政と同水準かそれ以上の厳格な基準を持った外部機関を紹介してもらえると思います。

任意団体やNPO等の場合、「カウンセラー」を名乗るための厳格な基準を設けていなくても事実上問題になることはない上に、相談内容を口外した場合の罰則規定なども存在していない場合がほとんどで、専門的知識を有していない同じ同性愛者などが対応をしている場合、個人的な感情移入などが入り込み冷静な対処法を伝授できない(もともと適正な対処法のメソッドを学んでいない)など、正直言って一般的な感覚から言って危険なことが多すぎる気がします。

僕の場合少しケースが違いますが、以前学生時代の知人から執拗なストーキングや脅迫、名誉毀損被害に遭っていて警察に相談に行った際、あれだけ体育会系で頭の固そうな警察組織であっても、男性同性愛者であることに関して驚く様子も嫌悪する様子もまったくなく、刑事さんたちは”安全な市民生活を担保する”という「職務」として対応し、そこに個人的な好き嫌いや驚きなどと言った感情を挟むことはありません。

こうした例からもわかるように、案外、考えているよりも行政機関の性的少数者に対する認識は進んでいるところがあり、また、「業務」としてそれを遂行する一種のドライさがないと、適正なアドバイスや指導ができないのは明白な事実だと思います。

ですので、悩んでいて誰かに打ち明けたい、二丁目やイベント、サークルなどと言ったところに行く勇気がない、という皆さんに関しては、ぜひ、お近くの保健所等の相談制度を調べてみてください。

そして、大事な相談をするときは一歩立ち止まって、「本当に信頼できる筋の人たちがどうか」ということを考える間を取ってもらえたらと思います。


■ご参考:全国の保健所一覧

http://www.phcd.jp/03/HClist/index.html




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ゲイの僕から見た性同一性障害

どうも、英司です。
いやはや、先週土曜日の東京はめちゃめちゃお花見日和な一日でして、僕も友人たちと代々木公園に行きました。毎年お花見は少し肌寒い記憶があるのですが、今年は暖かく過ごせましたね。


■性同一性障害の方が置かれた現状について

先日、少し機会があって『ザ!世界仰天ニュース』で、数年前に性同一性障害を取り扱った回の動画を見て、いろいろと思うことがありました。



ちなみに僕がこのブログでよく書いている「同性愛」と、今回話題にしている「性同一性障害」はまったく別の概念のものです。以前の日記でその点まとめたものがありますので、よろしければこちらからご参照ください。



ざっと放送の内容をまとめると、男性として平凡な家庭に生まれた雄一郎さんは、幼い頃からママゴトやぬいぐるみ遊びが好きで、お友達も女の子ばかりでした。

最初のうちは両親も、「まぁ年齢が上がれば男の子らしくなってくるでしょう」と特に気にすることもなかったようですが、幼稚園や小学校に上がっても女の子みたいな趣味には変わりなく、男の子らしい格好をすることにも抵抗を示し始めます。将来を心配した両親は高校までエスカレーターの男子校へと息子を編入させることになりました。

しかし思春期、青春期と成長していくにつれ、自分の身体が男性的な成長を遂げていくことに違和感や恐怖感に似た感情を覚えていきます。幸い、エスカレーター式の男子校の中では顔見知りしかいない世界。不思議と「女の子っぽいキャラ」、という個性を受け入れられていくことに。

ただ、年を重ねるにつれて男らしくなるどころか、どんどん女性らしくなる雄一郎さんに、両親は「気持ち悪い!」などというひどい罵声を浴びせるようになっていき、親子仲はギクシャクしていく一方。雄一郎さんにとってこの時は、キャラクターが確立されていた学校だけが唯一気持ちが休まる場所だった、と言っています。

それでも、東京の大学に進学すればなんとか自分の人生が開けるだろうと頑張って勉強をして、見事都内の有名大学に合格。しかしそこで待っていたのは思いもよらない日々。

このとき、見た目やファッションは完全に女性のようになっていた雄一郎さんは、入学してすぐにあった身体測定や、講義の際の出欠確認のたびに好奇の目で見られるようになり、すぐにその噂が広まります。ときには大学の期末試験中、替え玉受験と疑われてテストを中断させられるなど、通常の大学生活を送ることも困難に。

女友達として友達になってくれた人も、事実がわかるとどんどんと離れていき、知ってる人しかいなかった男子校の生活とはまったく違った、辛い毎日を送ることになります。

両親には相変わらず辛く当たられることばかり。もうこのままでは誰も幸せにならないと、限界を感じた雄一郎さんは、20歳の誕生日に自ら役所へ出向き、両親から自分の戸籍を抜き、大学には休学届を出し、翌日には家を出ることを決意。

両親にそれを話したところ、案の定止められ、両親は、そこまで言うならと今後遺産の相続権を一切放棄するよう求めたら、雄一郎さんはこれも承諾し、宣言どおり家を出ていってしまいました。
家を出てからはニューハーフクラブなどで働いて生計を立てる日々。職場の先輩たちは仕事以外のことにもいろいろな相談に乗ってくれて、初めてありのままの自分が認められた感覚を得た、といいます。

そんな生活を続けて2年。ホルモン療法などを経て、タイで性適合手術を受けて、晴れて名実ともに女性としての人生を手に入れる、というところで話は終わります。


参考:YOUTUBE




たかだか10年ちょっと前なのに、時代背景の差に愕然

まぁ、バラエティ番組なのである程度の脚色などはあるにせよ、多かれ少なかれ、おそらく大筋的には多くの性同一性障害の方がこうした経験に心当たりがあるのかもしれません。

同性愛者が抱える問題とも一部重複するところはありますが、いやいや、こういうものを比べるのも良くないとは思いつつも、何倍もの困難をくぐってきているな、というのが率直な印象です。

同番組は、よく難病と闘う世界中の人たちや珍しい障害に苦しむ人への取材と再現ドラマをやっていますが、多くの被取材対象者の場合、その病気や障害と家族が一丸となって戦っていく、という美談仕立てのストーリーが展開されます。

しかし、性同一性障害の回はまったく異質で、一番最初に大切な家族からその障害を拒絶される、という点が他の回とはまったく違います。

無理もありません。確かに実際にこの再現VTR通りのご両親だとしたら、ちょっとひどいな、とは思いますが、雄一郎さんは1984年生まれで僕と同年代。

90年代に幼少期や思春期を過ごしてきたわけですが、性同一性障害という障害名が認知されたのなんて、ここ5年~10年に満たない間の話。ご両親が熱心に子育てをしていた80年代~90年代では、そんな人は世間ではニューハーフとかオナベとか言われてて、夜の世界の特殊な人、というくらいの認識しかなかったんだと思います。

実際のところ、2014年の今でこそ性同一性障害として生まれてくる人の数は、国籍や人種に関係なく一定数いることはあらゆる科学的なデータで証明されていますが、そういった情報が日本でも知られてくるようになるのは、雄一郎さんが両親とのケンカが絶えずに苦しんでいた時期よりももっと後の時代の話になります。

また、他の先天性の障害とは違い、その兆候が見えてくるのが男女の性差が現れ始める思春期の頃に重なることが多く、ちょうど人目を気にしたり、大人からすれば笑っちゃうような他人とのちょっとした違いでさえも「自分は人と違う」と不安になったりする年頃。

やれ筆箱やノートが友達と違うだけでギャーギャーと騒いでいるような思春期の頃に、自分は自分の生まれ持った性別を受け入れられない、というのは、ものすごい不安感や恐怖感があったことと思います。

僕は同性愛者ですが、なんとなくその感覚の一部はわかる気がします。
僕も周りの男友達が女の子を性的な目で見始めるとき、自分にはそういう感情がなくて人と違うと思いましたし、自分はちょっと周りの男の子たちよりも子どもっぽいだけで、そのうち自分も女の子に興味を持ち始めるだろう、と思ってましたが、周りの「普通の男友達」との性的指向の差は追いつくどころか自分が意図しないまったく違う方向へ進むばかり。自分が「普通の人生」から外れて行って、コントロール不能になっているようで、日に日に不安感や劣等感は強まっていく一方でした。なので僕も思春期にあまり明るい印象はありません。

ただ、僕は性的指向は男性ですが、性自認も男性ですので、男性物の制服を着ることや、当時の男子の間で流行しているものを身につけることにはとくに抵抗などはありませんでした。髪の毛はむしろ短い方が手入れも楽でよく短くしていましたし、たとえ誰か同性を好きになってしまうことがあっても、心のうちに黙っておけば(それはそれで当時の自分にはとても辛いことでしたが)周囲を偽っている罪悪感や息苦しさはありつつも、親や友人に何も勘付かれることなくなんとか思春期や青春期を乗り切ることができました。

ただそれが性同一性障害の方の場合、もう男物(もしくは女物)の制服を着て街を歩くこと自体が苦痛、と思ってしまう場合もあるようで、それを強制されるというのは、感性がまだやわらかい10代の頃にしては辛いことだと思います。

想像してみると辛いことです。僕達の感覚で言えば、突然「明日からあなたは女性ものの洋服やスカートを履いて生活しなさい!!」と言われるようなものなんですから…。自分の中では心の性に合った格好をしているつもりなのに、それが周囲から見れば「異装」と取られ、いたずらにニューハーフショーなどのイメージと勝手に結び付けられ、家族や友人から孤立してしまう。

このVTRを見て、おそらく僕のような一同性愛者が思春期の頃に抱いた苦痛の、倍やそれ以上の苦痛や恐怖感を感じていらっしゃったかと思いました。また実際日本で戸籍上の性別の変更を行う場合、かなり厳しい条件がいくつもあり、その一つに男性器の切除手術を済ませる必要もあります。これには命の危険を犯すような手術を伴いますし、同時に行うホルモン治療でも、一生副作用に苦しまなければなりません。

このように、生まれ持った心の性別に身体的な性別を適合させるのは、文字通り「命がけ」の治療となるのです。


同性愛者の場合はかつて、キリスト教圏で同性愛は犯罪行為とされてきた時代を経て、その後は長らく「精神疾患」という烙印を押されていました。しかしこれは治療やリハビリが必要な「病気」や「障害」ではなく、無理に治す必要のない「ライフスタイル」や「個性」に属するものだ!という運動が欧米などを中心に展開されてきました。1993年5月17日には国連の保健機関であるWHOの「国際疾病分類」から「同性愛」の項目が正式に削除。日本も、1996年にこのWHO発表の分類を批准し、この日本でも名実ともに同性愛は「治療すべき病気」ではなくなりました。

ただ、性同一性障害になるとこの流れはまったく違ったものになります。
同性愛者の場合、「病気」や「障害」というレッテルを払拭することに注力をしてきたかもしれませんが、性同一性障害の場合、「異装者」「性的倒錯者」という奇特な視線を払拭するために、これは一種の「障害」であること、また、心の性と身体の性を一致させるための「治療」が必要であることを訴えていく必要がありました。

ここが同性愛と性同一性障害の根本的な違いになるのかな、と思います。

同じ「障害」と言われても、文脈によってはそれで「自分って障害者なんだ…」と傷つく人もいれば、障害と認定されることで「今まで自分が周囲の人と違うと感じてきたのは、障害のせいだったんだ」と安堵し、保護が受けられて救われる人たちもいる。

これが一概に「人を障害や病気扱いするのは良くない!」とか、逆に「かわいそうなんだから病気として扱ってあげよう!」とかいう論調では掬いきれない難しいところ。

以前の日記で、ゲイリブはもう自分たちを被福祉対象者として世間にアピールするような主張はやめた方が良い的なことを書きましたが、こうした同性愛者=被福祉対象者という主張は、おそらく性同一性障害の方々の展開してきた主張や運動の影響、成功体験の事例からヒントを得ているものと考えられます。

よく、「セクシュアルマイノリティ」や「LGBT」をひとくくりの主語として使われることの多い昨今ですが、抱えている問題の質があまりにも違い過ぎて、もちろん一部では共感出来る部分はあるにせよ、互いが互いの主張や運動を参考にするにはあまりに文脈や背景に開きがあるように感じました。

日本では同性婚や性的指向の差別を禁止する法律などよりも先に、性同一性障害の方が戸籍上の性別を変更するための手続法が成立しました(世界的には異例のことのようです)。さまざま議論はありますし、性同一性障害当事者の方たちからすれば、この法律自体にもまだまだ課題が山積しているようですが、僕個人としてはこの優先順位付けに誤りはなかったんじゃないかと思います。

同性婚やパートナーシップ法は欲しい、もちろん、ないよりもあった方が良いの当然のこと。だけど、一方でいろいろなことを知るにつけて、当事者の方が置かれている困窮具合、生きづらさ、窮屈さを客観的に検証すれば、性同一性障害への理解や法整備は、より急がれるべきなのかもしれません。

盲点になりがちな視点でしたが、性適合手術を受けていない性同一性障害の方にとっては、性別の記載がある年金手帳等の提出が求められる正規雇用での就労を辞退するケースなどもあり、自ずとそれが職業選択の自由を妨げるものになるばかりか、貧困問題につながり、果てには病院での診察などにも行けず満足に医療サービスを受けることさえできない。
トイレに行くの一つにしたって、周囲への配慮で気疲れしてしまう。同性愛者としての生活の、何倍もの点で生活に支障をきたす場面があることに気づきます。

また、VTRの雄一郎さんのように自分自身のアイデンティティの在処に悩み、孤独な幼少期を過ごす子どもの苦しみも大変なものです。幼少期や思春期に感じる孤独感という点では、同性愛者の子どもも同じですが…。

それを考えたとき、やはりまずは健康に働けて、今々すぐに政府や法の助けを必要としない大人の健康な同性愛者は極力自立、自走をするよう勤め、より困っている人に「どうぞお先に」と言えるくらいの余裕は持っておきたいもの。

現在薔薇族を主宰されているゲイのライター・編集者の竜超さんが以前ご自身の著書の中で一部の同性愛者が同性婚などを激しく求めてロービーイング活動などをする姿をさし、「なんだかお腹いっぱいにご飯を食べた人たちが、今度はデザートをくださいと言っているよう。すぐとなりには、明日食べるものがない人がいるのに。」というような趣旨の発言をされていました。

いろいろな問題を知るにつれ、竜さんのこの発言の意味をとてもよく理解できるようになってきました。

同じ性的少数者とはいえども意外にも共通点が少ない両者ですが、こうした自然で粋な譲り合いができるようなコミュニティにいつかなっていけばいいな、と思いつつ。


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