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どうも!英司です。
だんだん春の足音も聞こえてくる最近ですが、皆様いかがお過ごしでしょうか。
こちらは先週末、一足早くひな祭り記念ということで、知人が経営する銀座にある鳥料理屋さんにて、お着物日本酒会に参加してきました!!

着物で日本酒をいただく土曜日の昼、なんとも優雅なひとときでした♫

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■ふかわりょうさんの造語「ジャスティス・ハラスメント」


まず、記事の紹介。


ふかわりょうブログmove 世界を動かすのは僕たちだ
第545回 ジャスティス・ハラスメント」 


先日のブログでご紹介した牧村さんの記事に続き、なんだか最近なんとなく思っていたモヤモヤした感じを言い当てていてスッキリしました。

「正義」という言葉や概念を使うときは、本当にその取扱いや前後関係には注意が必要だな、と思います。僕自身もあまり偉そうなことを言えた立場ではないのですが、世の中には「反論の余地を与えない絶対的な言葉」というのがいくつかあって、正義もその一つでしょう。


昨年6月に、当時の岩手県議会議員が病院で待たされた挙句、名前ではなく番号で呼ばれたためその病院に難癖をつけて、診療代を払わずに怒鳴り散らして帰ってきたことを自身のブログに掲載し、それが大炎上した挙句、ものすごいバッシングに遭って数日後に自殺をした、という事件がありました。

確かにこの県議会議員の小泉光男という方は、ブログに掲載した内容が本当であればまったく論外なほどに愚かな人間であることは間違いありません。

今は大きな総合病院であれば、同姓同名の患者のカルテの取り違いなどを防ぐため、患者の安全を第一に考えた結果名前ではなく番号で呼ぶ方式を採用しているところは多いですし、ご老人の多い地域の病院では、特に朝や午前中の診療は長時間待たされるのは当然のことでしょう。

そして、本当に診療代を払わずに帰ったのだとすれば、県議という立場から考えれば軽微な金額であっても刑事罰は避けられず、辞任に追い込まれていてもおかしくない状況だったのは事実でしょうね。

ただ、この小泉という県議を信頼して選んだ県民の方、無銭診療をして帰られた病院、その場に居合わせた人がその態度にとても怒ったというのなら話はわかるのですが、本件にまったく無関係な第3者が突然表れ、小泉氏のブログなどに暴言を書き込み「死ね」だのなんだのと言うのは少し違うと思います。

実際、軽率な行動は批判されるべきで、こんな非常識な人間が公職にあること自体に怒りを感じるのはわかりますが、ネットの匿名性に隠れて、しかも正義を盾に一方的に罵倒し、死に追いやる行為は決して許されることではありません。

昨年はこの件以外にも、いわゆる「バカッター」という事件が多発しました。
主に飲食店などに勤務する学生が、閉店後の店内でイタズラをしている写真をツイッターに挙げて炎上し、お店が閉鎖されるなどの事件をよく見かけました。

お店の監督責任を問う声は当然ですし、非常識な行為を取った本人が責められるのも仕方のないことですが、これもまた、そのお店の常連客や地域の人が怒るならまだしも、ネットの匿名性に隠れて「正義」を振りかざそうとする無数の顔の見えない人たちの発言によってお店が閉店や休業に追い込まれている感が否めません。

僕なんかは、そのお店を日常的に利用している人もいるわけですから、そういう人たちが困らないためにも、バイトの解雇と徹底した再発防止策を会社の広報が発表して、謝罪の意思を見せたらそれで十分許容されるような話だと受け取っていたのですが、僕はちょっと感覚が古めかしいんでしょうか。

それに第一、何かを批判する場合は顔か実名、もしくはその両方を出すのは当然のことだと思いますし、一昔前はどんな筋の通った批判でも匿名の発言など誰も世間は相手にしていなかったと思います。それが最近は、匿名であっても、たとえ筋の通ってない暴論であっても、いやむしろ筋の通っていない暴論や極論であればあるほど、「正義」を振りかざして暴力的な行為を行うような声に対してそれをおもしろおかしく煽る勢力が現れ、また、企業や個人もそういった「誰かをぶん殴るためだけの”正義”」に弱腰になりすぎているきらいがあるのではないでしょうか。

このままでは、「人権」などと同様、「正義」という言葉は、一部の特殊な人たちが自分の鬱憤晴らしのためだけに使う暴力的なクレーム用語になっていくのではないでしょうか。


■「サイレント・マジョリティ」の声に注目できるかどうか

僕はサラリーマンをしているわけですが、本業の会社では広報室に所属しており(と言っても当社広報室は僕が一人で切り盛りしてます)、自社の広告/宣伝関係の仕事やプレスリリースの発信、調査・マーケティング関係の業務などを幅広く担当しています。会社の特質上、これまではBtoB向けの控えめでおとなしいプロモーションを中心に行ってきましたが、ここ最近では各種媒体を使ったBtoC向けの親しみやすいプロモーションに力を入れています。

こうした会社での役割の変化もあって、消費者の目線を常に持っておくため、今年から日経マーケティングジャーナル新聞を取っています。もともとは日経流通新聞として創刊した新聞です。
流行商品やその商品がヒットした社会的背景、企画者のインタビュー、消費者の意識調査、企業の新しいユニークなサービスの紹介などを取り扱った専門紙で、一般的な事件やニュースを取り扱う新聞とは異なります。

成功している企業やサービスに共通する特徴はやはり、「サイレントマジョリティの声を正確に把握していること」だとつくづく感じます。

※参照:サイレントマジョリティ(Wikipedia)

「サイレントマジョリティ」とは、僕は「公的な場で積極的な主張をする少数の人たちではなく、積極的な発言や意思表示を明確にはしていない大多数派の人々」と解釈しています。
日本では岸信介首相が日米安保闘争の時代に「国民の声なき声」と言ってにこの概念を説明したことが有名です。


僕は学生の頃、地元近くの駅ビルに入っているCDショップと、日比谷の映画街にある映画館でアルバイトをしていました。どちらも接客のアルバイトです。
CDショップは大手のショッピングモール直営の店でしたのでしっかりした研修があり、日比谷の映画館は劇場や高級ホテルの並びという場所柄、少しマナーなどに厳しいご年配のお客さんも多く、やはりここも接客のマナーにはけっこう厳しかったと記憶しています。

いずれのバイト先でもいつも言われたのは、クレームの対応時のこと。
「1件のクレームが来たときは、同じように思っている人が100人はいると考えなさい」という、当時の接客業では当然の考え方をけっこう叩き込まれました。

これは科学的なデータがあるわけでもなく(似たような調査はあるのかもしれませんが)、長く経験則の中で獲得されてきたデータなのでしょう。

ただ、この理屈は匿名性のSNSなどがここまで普及した現在、正確性は以前よりもかなり崩れていることが予測されます。


■ジャスハラは日本経済を衰退させる!?

日本のサービスは世界最高水準と言われて久しい昨今。僕も大人になって海外旅行に行くようになって、日本人のお客さん視点に立ったサービスは本当に素晴らしく、日本人自身があまり自覚的でないにしても、日本が国際競争力の面で非常に有利な立場に立てる分野の一つですらあると思います。

アメリカの偉い経営学者がCS(Customer satisfaction)=顧客満足度なんて指標を声高に叫びだすよりずっと前から、日本には近世頃から「お客様は神様です」という商人道がありましたし、ここ数年、米国のMBAが取れる大層なビジネススクールが、「これからはモノマーケティングじゃなくて、コトマーケティングだ!」なんてことを教えているらしいですが、モノを買うのではなく、モノを通してできる楽しい体験や心地よい空間、時間にお金を払う、という「コトマーケティング」的感覚は、割と日本人は昔から持っていたし、大切にしてきたのではないでしょうか。その証拠に、日本の百貨店やショッピングモールはモノを売りつけるだけではなく、ストーリー性のある作りや人の導線にかなりのこだわりがあるし、世界で一番成功したディズニーランドと呼ばれるのが、あの我らが東京ディズニーランドで、しかもあそこは世界にあるディズニランドで唯一本国の運営方式は採用せず、米ウォルトディズニー社とはキャラクター使用のライセンスのみの契約で、サービスやテーマパーク運営のフローはドメスティック企業であるオリエンタルランド社がすべて構築したというのだから驚きです。
まぁ最近はやりの「おもてなし」の精神ってやつですね。


ただそんな日本も、バブル崩壊後の約20年間にも及ぶ不景気の時代を経て、経営者層から平社員に至るまで、世のサラリーマンはかなり保守的な考え方になったのは事実です。

こうした社会的な風潮を経て、また控え目で忠実な日本というお国柄もあるせいか、とにかく独創性や斬新さよりも、いかにリスクが少ないか、もしくはリスクを最小限にできるか、ということに重きを置く傾向はどういった職種や業界でも依然として強く残っています。

リスクはあらゆる外的・内的要因が複合的に絡み合っていてなかなか「こういうもの」と一言では言えませんが、最近は専ら「ネット上での炎上リスク」ばかりに気を取られ、新しいサービスの断行や既存の製品・サービスのバージョンアップに二の足を踏んで頭を抱える経営企画室や商品企画室で働く人達をけっこう目にします。

それが少し前であれば単なる居酒屋の与太話やトイレの落書き程度のノリで、クレームや悪口をネットで発信している本人も、悪口を言えばそれで気が済んでいたような感じだったかと思いますが、最近はこの「ジャスティスハラスメント」、つまり、企業など公的な窓口の担当者としてはあまりにも反論しづらい「正義」を振りかざして、まったく当該案件とは無関係な人たちが、日常の鬱憤を晴らすかのごとく自分が買ったことも、サービスの提供を受けたことすらもない会社、または無関係な著名人などを徹底的にぶん殴りまくる、という現象があまりにも目立ってきました。

こうした最近の風潮が、自由な企業活動やサービス開発、商品企画にまで影響を与え、供給サイドの萎縮性を助長している傾向があるのではないでしょうか。
これは日本の経済やサービスレベル、商品企画力において非常に由々しき問題になるのに時間はかからないと思います。


■ITリテラシー力よりも必要な「炎上リテラシー力」

誰だって自分のブログなりSNSが炎上したらびっくりしますし、良い気分はしません。もちろんこのブログが炎上したら嫌ですよ(なのでお手柔らかに・苦笑)

それが企業レベルともなれば、よりナーバスに、リスクヘッジ第一になるのはわかります。例え供給サイドからしてみればより顧客満足度向上のためのサービスのバージョンアップなどであっても、何かが「変わる」ことに反発が生まれるのは世の常で、少し先進的なこと、周囲とは変わったことを最初にやる第一人者というのは、叩かれたり、冷笑されたりするのはよくあること。

ただこうした、時に人の命までも奪ってしまう炎上行為というのは、本当にすべてが国民世論一般と一致しているのでしょうか。

そこを冷静に見極める必要が今まで以上にあるのではないでしょうか。供給サイドの過度の萎縮が、新しいサービス、イノベーション、奇想天外なプロダクトの企画を妨害しているのならば、日本のサービスレベルはこれまでのような独創性やプロダクトの機能性の方に力が向かず、ひたすらリスク回避、反論の余地を誰にも与えないサービス設計という方向に進んで行き、大きな最小公倍数を集めたような無難でつまらない商品しか生産できなくなるでしょう。

そうした環境からは、本田技研工業が出した世界初のオートマチック車のホンダ・シビックも、音楽と共に生きるライフスタイルを創造したSonyのウォークマンも、もう永遠にこの国からは生まれないと思います。

僕自身も企業で働く一員として、この「炎上リテラシー力」というのはとても身につけたいところ。

「正義」という、絶対に反論ができない概念を武器を手に持った顔の見えない発言者の声があふれるこの時代。それが本当の意味での正義なら、それに従えば良いでしょう。
ただ、なぜ「正義」を振りかざしているのに、なぜ「正しいこと」を言っているのに、顔も名前も出せないのでしょうか。しかも、「正義の味方」という善良な市民を自称しているのにもかかわらず、根拠もない不確かな情報だけを頼りに、死ねだのなんだのという好き勝手な暴言を吐くのでしょうか。

そうした正義は、「正義」の名を借りた鬱憤晴らしであって、企業も個人もまともに相手をしていたら健全な経済活動に支障をきたします。
もちろん実際に問題があって炎上している企業などもありますが、果たしてそれがサイレントマジョリティの意見なのか、それが事実と主張するのであれば、それが科学的、統計的な根拠のあるのか、その諸元は?

こうした炎上リテラシー力、つまり、サイレント・マジョリティの真意を読み取る力は、今後とても大事になるかもしれません。


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