10 years after

どうも、英司です。桜の季節も終わり、これからどんどん陽も長くなり、夏に向かっていく季節ですね!
僕は毎年GWあたりから夏に向かっていくこの季節がとても好きです。
このGWは京都、奈良、大阪に遊びに行くことにしました。京都の嵐山や、奈良の飛鳥、大阪のミナミなど、行きたいところ、会いたい人もたくさんいます。

仕事の方も3月の年度末から4月の年度初めにかけて会社のWEBページのリニューアルやパンフレット作成があり、もうバタバタで忙しく過ごしていました。

そんな中、プライベート用のアドレスに1通のメールが届いていました。
その内容はと言いますと、「育英友の会(いくえいとものかい)」というところからの同窓会への招待メールでした。

この「育英友の会」とは何かと言いますと、日本学生支援機構が行なっている奨学金制度「育英会」の交流会のことでして、僕も大学在学時、この機構から奨学金を借りて大学に通っていました。

この機構から奨学金を借りている人を対象に、同じくこの奨学金制度を利用して大学や短大、専門学校に通っている仲間との交流を目的とした合宿イベント「育英友の会のつどい」(通称「つどい」)というイベントがありまして、僕も大学1年・18歳の夏休みに、このイベントに参加したのでした。

この合宿イベントは今でもとても心に残っている思い出です。
バスに乗って、初めて会った同年代の仲間たちと、最初は緊張しながらも次第に打ち解けて行き、合宿所まで行きます。みんな共通点はただ「育英会のおかげで学校に通えていること」、「同じ世代の仲間であること」と、「東京の大学や短大、専門学校に通っていること」だけでした。(全国的なイベントなのですが、学校の所在地別に合宿所が分かれているため、僕は東京ブロックでの参加でした。)

そこから男女混合の班に分かれて簡単なグループワークをして、合宿のテーマを設定します。テーマと言っても簡単なものでも全然かまわなくて、「同じ世代の友達たちとネットワークを作る」とか、「人見知りを克服して、初めて会った人たちと心地よい関係を作れるようになる」とか、そういうテーマを設定します。

そして今度は部屋に分かれます。部屋はできる限り班がバラバラになるように組まれていて、それぞれの部屋であいさつなどを済ませたあと、再度ホールに集まってクイズ大会などの簡単なゲームをやったりして、緊張を解きほぐしていきます。

翌日は朝からグランドにあるBBQ場でそれぞれの班でカレーづくりやBBQを楽しんだり、外で動き回ったりして1日を過ごします。

そして最終日は班のみんなで合宿所を掃除して、お別れ会的な懇親会をしてプログラムが終了と言った感じ。それらのイベントがありつつも、折りに触れてディスカッションやグループワークの時間が何度も設けられていました。

何より、この合宿プログラムで一番メインになるのは班での「ディスカッション」と「グループワーク」です。BBQなどはむしろこのディスカッションでみんながより自分をさらけ出せるために親睦を深めるものだったと受け取れるかもしれません。

ディスカッションもそんなに難しいことを話し合うわけではなく、自分はどんなことを大切にして毎日を過ごしているか、とか、昔こんなことがあって今の自分があるとか、それぞれが「自分」というものをさらけ出していくと言った感じ。グループワークもほとんどゲームのような感じで楽しめるものばかりでした。

BBQやゲームも楽しかったけど、やっぱり自分にとってこの「つどい」で一番いいなと思ったのがディスカッションの時間でした(ほとんどの参加者がそう言っていました)。
本当に話題はざっくばらんで、特に制限は設けていません。3年生や4年生の参加者から就職活動のことを聞いてみたと思えば、「みんなにとって友達って何?」みたいなテーマに移ったりして、本当に多種多様なディスカッションがあちこちの時間に織り込まれていました。

当時僕は18歳で、大学にもまだ入学して数ヶ月ということもあり、今よりずっと謙虚で、ずっと感性も柔らかかった時期にこのイベントに参加できたことが、本当に良かったと思います。いろんな人のライフヒストリーや日頃大切にしていることを聞いて、自分自身もそういったことをさらけ出したりして。
あの頃出会った仲間の一部とは今でも交流があったりします。

とても良いイベントだったので、翌年の大学2年の夏も参加しました。

しかしこのイベントを通して学んだことが、意外なところで役に立つことになります。

それはちょうど3年生、20歳の夏休み。僕の通っていた大学の創設者が井上円了という人で、その人は新潟県の山古志村出身でした。
そんなわけで僕の通っていた大学は新潟県と深い繋がりがあり、実際に上京組にも新潟県出身の人なんかがすごく多かった印象なのですが、山古志村と言えば2004年の秋に新潟中越地震で甚大な被害が出た地域です。

その翌年の夏に、大学の有志たちで震災ボランティアに行こうという企画が学内で立ち上がり、大学がバスを出し、向こうでは長岡市の協力のもと、旧山古志村役場に宿泊できる準備が整ったとのことで、有志の募集がありました。

僕は特段世のため人のためというタイプではないんですが、何グループにも手分けして1グループあたり5日間のボランディアなので気軽に応募できるし、ちょうどサークルの合宿とも被らなかったし、何より、良い経験になりそうだと思い、この有志に応募することにしました。
そして、2005年・大学3年生の夏に有志メンバーとして旧山古志村(現長岡市)に入りました。
途中までバスで移動し、そこからは4WDに乗り換えて旧山古志村地域に入ると、美しい風景であっただろう山なりに作られた棚田は崩れ、半壊状態の集落が現れました。全壊した家もあちこちにありました。ホントに衝撃的な光景でした。

有志メンバーは同じ大学の学生とは言え、マンモス校だったため誰一人として知ってる人はいません。

ちょうど、前年、前々年の夏に参加した「つどい」と同じような状況で、既視感がありました。

到着して1日目は、なんとなくぎこちない会話が一言二言ありつつ、村役場の宿泊所に案内され、全体の集会とボランティアに向かう場所の割り振りがありました。

しかしその時から僕は、「せっかく同じ大学に通っている仲間同士としてこれから5日間、復興の手伝いをするのだから、この出会いを大切にしたい」という気持ちが芽生えていました。

そして自分の中でも「つどい」のときの記憶を呼び起こし、積極的に声がけを行なったり、班長を勤めたりしているうちに、どんどん雰囲気が柔らかくなっていくのがわかりました。
きっと、本当はみんな同じように思っていたんでしょう。ただ、誰かがあの緊張した空気に一石を投じる必要があったんですね。

それから毎日、半壊状態になって荒れ放題の民家の瓦礫撤去作業をしたり、未だに耐震工事に入れてない荒れ放題の学校の整理や掃除をしたりして、あっとい言う間に5日間が過ぎました。

終わる頃には名残惜しい気持ちすらありました。
「つどい」とは違い、あの集まりの大義は「ボランティア」という目標が明確にありました。ただ、特段ディスカッションの時間を設けなくても、ちょっとした心遣いで普段の学生生活のことを話し合えたり、特にキャンパスの違う学生同士でそれぞれのキャンパスライフを紹介し合ったりして、最終的にはとても良い関係を築けました。(ちなみに、この時一緒だったメンバーの一部とも、今でも親交があったりします)

同年代の全然知らない仲間と、寝食を共にする。という経験を大学1、2年の夏休みにできたことは、自分にとってとても大切な財産になったんだなと実感したときでした。

あの「つどい」に参加したのが18歳のときです。
僕は今年度の末に28歳になります。

約10年も前のことになるって、ちょっと信じられません。確か「つどい」でも、10年後の自分はどんな人になってる?みたいなディスカッションがあったと記憶していますが、正直何も想像がつかないと言った感じでした。

しかし今、自分はその「10年後の世界」を生きているわけですね。
あの頃のような純朴さや感性の柔らかさは失われてしまったかもしれません。でもそれと引き換えに獲得したものだってたくさんあると思います。

あれから10年なんて、ちょっと信じられないけど、「つどい」の同窓会へぜひ参加しに行きたいと思います。「つどい」の同窓会では、あらゆる参加年度の人が集まるらしいので、2003年度の横の繋がりだけでなく縦のつながりもできそうです。

そしてその時に、山古志村のボランティアで、「つどい」での経験がとても役に立ったという話をして来ようと思います。

自分にとってこの10年は、本当に感慨深いものでした。
みんなはどんな変化を遂げているのか、楽しみです。


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