『郊外社会』の夢と病理

どうも、英司です。
お花見の季節ですね~。
この週末にお花見の約束があるので、すごく楽しみです。

先日、大学の頃のゼミの先生と同窓会の打ち合わせがてら飲みに行く機会があったのですが、とても感慨深いものがありましたね。この春で僕も社会人生活が丸5年経過し、6年目に突入しました。

自分にとってもこの5年は、本当に激動の5年間でした。大学を卒業するときは想像をし得なかったことが次々と起こり、時には老け込むくらい大変な時期があったり、一方で時にはキラキラとした威勢の良いときもあり・・・。いまはその両極端のどちらにも振り切れず、それなりに安定した生活を送っています。

この5年間で自分にとって一番大きな出来事は、やっぱり実家を出て自立したことでした。
ちょうど卒業から1年ちょっとした23歳のときに、柏にある実家を離れて高円寺で一人暮らしを始めました。

首都圏に実家のある人ならわかってくれるかもしれませんが、首都圏には独特の窮屈さがあります。
いわゆる「郊外社会」というやつです。
今日は自分も生まれ育ったこの「郊外」というテーマでエントリーを書きたいと思います。

■「郊外」の持つ夢と病理

「郊外」という言葉ほど、その時代によってその使われ方が180度変わった言葉はないかもしれません。
僕たちの親の世代、高度経済成長の日本と共に生活を向上させて来たいわゆる団塊の世代が結婚をし、家を持つ年齢に達する頃から、東京都下部や神奈川、千葉、埼玉などで急速な都市開発が進められ、「郊外」という社会が人工的に形成されて行きました。

当時の「郊外」のイメージは、東京に通勤するサラリーマンが住めて、尚且つ緑もあり、同じ時期に建設された小奇麗な家やマンションが立ち並ぶ夢のマイホームタウン。そんなところでしょうか。
住宅販売会社やディベロッパーもこうしたイメージを前面に押し出し、広告展開を繰り広げてきました。
また、これは母親から直接聞いた話なのですが、親の世代が子どもの頃に流行った言葉があるそうです。それは・・・

『アメリカンウェイオブライフ』

だそうです。

つまり、古い封権的な日本のイエ社会からは切り離された、アメリカ型の自由で豊かな生活を送ることを善しとする社会的な風潮が存在し、その象徴的な流行語が『アメリカンウェイオブライフ』だったそうです。
また、当時日本でとても流行したアメリカのテレビドラマがあったそうで、その番組は『パパは何でも知っている』という作品だったそうです。

この作品は、いわゆるアメリカの郊外の家庭を舞台にした、豊かな生活を送るハッピーなファミリーの物語だったそうで、そこに描き出される「家族」の像は、当時の日本のそれとは180度異なり、家族サービス精神たっぷりな「何でも知ってるパパ」と、専業主婦をしているママ、そして子どもたちの物語だったそう。

冷戦体制下、アメリカはこうしたプロパガンダじみた宣伝戦略を巧みに使い、「豊かで自由なアメリカ」を世界中に演出して回っていたようです。

しかし、まだまだ貧しさも残る日本で暮らしていた僕の両親は、子どもの頃にこうした作品を目にしていたわけで、そこに描き出されるアメリカ式の郊外での豊かで幸せな生活に感銘を受けて、すごく単純に「自分も大人になったらこんな幸せな暮らしがしたい」と考えたことは想像に難くありません。

つまり、『アメリカンウェイオブライフ』を実践する舞台装置が『郊外』だったというわけです。

しかしこうした『郊外社会』に一つの大きな分岐点が訪れます。そのきっかけとなったのが宮崎勤が起こした連続幼女殺害事件でした。
この事件が起きたとき、自分もまだ幼稚園児くらいのときだったかと思いますが、本当にいたたまれない残忍な事件でした。

その残忍な事件の舞台となったのが、まさに『夢のマイホームタウン』であるはずの『郊外』だったのです。
事件を起こすまでも宮崎は不可解な言動が目立っていたそうです。
確かに、事件後宮崎の部屋が公開された際、そこかしこにぎっしり詰め込まれたアニメのビデオが注目され、『オタク』という言葉が一般的になったのもあの事件がきっかけでした。

そして、何が彼のような常軌を逸した人間を生み出したのか、何が宮崎の暴走を引き起こしたのかということについて、多くの論客が意見を言うようになりました。

その主たるものはやはり、それまで夢の生活の舞台として機能していた『郊外社会』に隠れていた闇の部分が噴出した。という意見が多くを占めるようになっていきました。

郊外社会には、「独特の均質性」と「他人への無関心」という2つの要素があると、郊外出身の僕は考えています。

「均質性」という言葉を使うと、よく地方出身者の人には「地方の方がずっと均質だよ」と言われてしまいますが、実は郊外社会が持つその均質性は、地方と同じか、それ以上のものだと思います。

僕の住んでいた千葉県の柏も、60年代~70年代に急速にベッドダウンとしての都市開発が行われた典型的な「郊外」でした。同じ時期に大規模な都市開発が行われるということは、一気に多くの住宅が同時に完成し、一気にそれらが販売されるということです。

その家を購入する層というのは、だいたい同じ経済階層で、だいたい同じ年齢で、多くが東京の会社に勤めるサラリーマン。ということになります。
この均質性は親たちだけでなく子どもにも伝播します。こうした均質な社会の中では、「ちょっとした違い」がとても際立ってしまいます。特に子どもの場合、そうした「ちょっとした違い」がいじめの原因となることもあります。

その「均質性」は、つまりは「価値観の均質性」にも直結します。「ホワイトカラーの父親しかいない街」では、「学校的な価値観」が絶対視されることになります。
田舎であれば、学校の成績が悪かろうが、家のやってる農家やら商店やらの手伝いをすれば大人から褒められるという成功体験を得られるかもしれません。
しかし、郊外にはそのチャンスはありません。
学校でお利口さんでいることが絶対的な価値となります。

成績が振るわない子や、学校での人間関係をうまくやれなかった子は、何も成功体験を得られないまま、トラウマ”しか”体験しないままに大人になってしまうケースが出て来ます。
宮崎は、まさにこのケースに該当していたようです。
(もちろん、だからと言ってあんな残忍な犯行が許されるはずもありません!)

そして更に悪いことに、郊外社会というのは恐ろしく「他人に無関心」な社会でもあります。
そこに地方のような地域コミュニティは存在せず、マンションに暮らしていても隣の人の顔も知らないなんてことはザラ。現にうちの実家もマンションですが、隣の人の顔は最後まで知らないまま僕は家を出てしまいました。

なので、宮崎のような人間がいても、あれほどの大事件を起こすまで誰もその存在に気付かないということが起きてしまうのが郊外社会なわけです。

つまり、ある一つの価値観が絶対視され、その価値観にそぐわなかった人間は排除される上、一旦排除されると、そこから這い上がる術がない社会であると言えるし、本来であればそこに救済の手を差し伸べるはずの「地域社会」すら存在しないのが『郊外』という社会だと言えるかもしれません。
(そもそも狭義の意味での「社会」すら成り立っていないとも言えるかもしれません)

翻って、僕もあまり先生たちが求めるような優等生ではなかったため、幼少期・思春期・青春期を振り返ってみても、窮屈さを感じたことが幾度もありました。

僕の場合ヤンキーだったわけでもないし、反抗的な態度を取っていたわけでもなかったし、むしろクラスでは地味な方だったけど、勉強がすごくできなかったし、昔は他人とのコミュニケーションをうまく持つことができず、かつ大人しいタイプだったため(今じゃ考えられない!笑)「何を考えているかわからない子ども」とよく言われてきました。

思春期や青春期に差し掛かってくると、自分ってゲイかもっていう疑念も浮かんでくるわけですが、必死にそれを揉み消しました。こうした郊外社会での生き方に慣れてしまっていた自分にとって「普通でいること」から一歩踏み外してしまうと、もう永遠に奈落の底へ突き落とされてしまうんじゃないかと考えていたからです。

なので、郊外社会の一員であることと同時に、セクシュアルマイノリティ当事者として、二重の当事者性、二重の窮屈さを味わってきた思春期・青春期でした。

だからこそ、親元を離れて自分の好きな街に暮らせるようになったことは、自分にとって非常に大きな出来事でした。
社会人になってお金も溜まってきて、どこへ暮らそうかと、以前から魅力を感じていた中央線沿線で家を探しに行きました。

中野、高円寺、阿佐ヶ谷、荻窪、吉祥寺、、、どの街にも個性があって、本当に選ぶのに苦労しましたが、その中でも一番いろんな人種が雑多に暮らしている高円寺が自分には最も魅力的な街に映りました。つまりは、一番『郊外的ではない街』が、高円寺だったんです。

郊外によく見かけるチェーン店資本がほとんど参入しておらず、個人経営のカフェやバー、古着屋さんや飲食店が雑多に入り乱れた商店街を訪れて、「この街なら自分らしく伸び伸びと暮らせる」と、確信しました。

それでも、青春時代にはたくさんの楽しい思い出もたくさんあります。その思い出と重なる部分について言えば、僕は自分の地元も結構好きだったりします(笑)。
でも、郊外社会と自分が幼少期・思春期に感じてきた窮屈さはどこかで繋がっているものだと感じていたので、今回このようなエントリーを書かせていただきました。

最後までご精読ありがとうございました。


他にも同性愛者の方が書いたノンアダルトブログはこちらから

↓良ければクリックお願いします↓
にほんブログ村 恋愛ブログ 同性愛・ゲイ(ノンアダルト)へ

プロフィール

英司

Author:英司
いらっしゃいませ!英司と申します。中央線カルチャーが好きで、東京・高円寺に在住の会社員。日々感じたことから、少し役立つ(?)情報まで、いろいろ発信していければと思います。

検索

他にもブログがいっぱい!

月別アーカイブ

<
>
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 78
9 10 11 12 13 1415
16 17 18 19 20 2122
23 24 25 26 27 2829
30 31 - - - - -

全記事

Designed by 石津 花

全記事表示リンク

他のブロガーの記事