みなさんはどんな学生でしたか?

どうも、英司です。
もうすぐ春ですね。卒業式シーズンということもあり、街には袴姿の若者をちらほら見かけます。
進学、就職でいろいろと身辺が流動的になる最近ですが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。
社会人になると卒業式や入学式のようにみんなが一斉に迎える式典のようなものがなくなるので、とても懐かしく思います。

そんなわけで、この春新入学生となる若い皆さんに自分を重ね合わせつつ、学生時代のお話をば。

皆さんは、どんな学生時代を過ごしていましたか?
スポーツに打ち込んでいた人、勉強を頑張っていた人、遊びに夢中だった人・・・。いろいろあるかと思います。

僕自身はと言うと、今思えばこれでもかと言うほど、典型的な文化系の学生時代を送っていました。
中学・高校では演劇部に所属し、大学時代は自主制作映画のサークルに4年間在籍。アルバイト先もCDショップと映画館でした。
時間があった学生時代は今以上に映画や演劇の鑑賞に没頭し、もっと本も読んでいたし、自分で脚本や小説を書いたりもしていました。

ゲイ業界では「学生時代は体育会系でした」っていうのがモテるパターンなので(笑)、まったくもってモテ筋のゲイとは程遠い学生時代を送ってしまっていたわけです(苦笑)。

でも、それを引き換えにしても、素晴らしい経験をたくさんできた学生時代だったなと思っています。
特に大学時代。自分で自由に使える時間がたくさんあったので、サークル活動に没頭したり、趣味の合う友達と遊びや飲みに行ったり、単位に余裕が出てきた2年次以降には、文学部の映画や演劇関係の講義を聴講しに行ってみたりもしていました。その傍ら、自分が所属していた社会学部での勉強も楽しくて、ゼミに所属したり、積極的に少人数の講義を取ったりもしていました。
自分で初めて脚本・監督を勤めた作品をつくったのも、2年生の頃でした。

そんな自分も、大学に入った最初のときは、いかにも「東京の大学生」的な、もうちょっとメインストリーム風な大学生活にちょっと憧れてた時がありました。

自分の通っていた高校は、地域でも底辺レベルの県立高校でした。
大学に進学する人は10%行くか行かないかで、その内訳もほとんどがスポーツ推薦枠。一般受験で東京の大学に行くなんてこと自体が無謀なチャレンジで、先生の中にも軽く生徒をバカにした人も何人かいて、自分が東京の総合大学を目指すなんて言ったときは冷笑されたものでした。

でも社会学部に興味があったし、社会学部・学科の設置してある大学と言えばどこも大きな総合大学ばかり。そして何より、全国からいろんな価値観や趣味を持った若者が集まる東京の総合大学に強い憧れがありました。

高校はと言えば、ヤンキーかオタクしかいない学校で、とてもではないけど勉強に集中できる環境ではありません(ちなみに当然僕はオタクの方でした・笑)。
そんな中でも、憧れの「東京の総合大学」への切符を手にするためには、全国の受験生の中でもある程度勝ち抜かなくてはなりません。進学校にいようと底辺校にいようと、どんな環境にいるかなんて受験には関係ありませんから。

当然、相当勉強しました。大学受験をすると決めたときから毎日深夜まで勉強して、学校の授業を受けて、すぐに図書館に篭って学校が終わるまで勉強をして、帰宅してからもまた深夜まで勉強という毎日。進学校ではなかったため、周りの友達はやれカラオケだのファミレスだのに誘って来るし、本当に誘惑に打ち勝つのが大変でした。

そんな禁欲的な生活をずっと続けていたので、大学入学時は「よし!はっちゃけてやろう!!」と意気込んだものです(笑)。

希望通り東京の総合大学に入学が決まり、マンモス校だったため日本武道館で入学式がありました。その帰り道の桜が満開の千鳥ヶ淵ではサークル勧誘の嵐が待ち受けています。その時なんとなしに誘ってきたサークルのお花見に参加したのですが、このサークルがテニスサークルで、まぁいかにも東京の大学生らしい華やかで賑やかなサークルでした。

厳しい受験戦争を終えたばかりの自分には、そういうサークルの人たちがとてもキラキラしているように見えて、すっかりそのサークルでも友達をたくさん作り、あっさり入会しました。

が、、、いわゆる「4月マジック」はそう長くは続きません。
GW前あたりから、一部の新入生同士の男女仲がこじれたりして、華やかなサークル故のすったもんだがありました。その辺りから、男女のドロドロが顕在化してきていました。
まだ自分でゲイであることを受け入れられていなかった自分としては、男女のすったもんだに明け暮れている同年代の若い仲間とはだんだんと話が合わなくなってきて、結局GW明けにそのサークルを辞めてしまいました。

5月に入って、サークルという居場所を失ってしまい、また振り出しに出戻ってしまってどうしようかと悩んでいたとき、何枚かのポスターが目に入りました。4月まで新歓のビラでいっぱいだった掲示板も5月になるとすっかり掲示物がなくなっています。

1つが大学の劇団の新歓公演告知のビラ。
もう1つがダンスサークルのステージ告知のビラ。
そしてもう1つが自主制作映画サークルの上映会告知のビラでした。

せっかく大学に入ったのだからと、全部のイベントを見に行くことにしました。
まず劇団。
高校時代までの演劇とは比べ物にならないほどの素晴らしいステージでした。レベルがあまりに高くて感激していましたが、週5日稽古があると聞いて即入団は諦めました(笑)

ダンスサークルはと言うと、同じ学部で同じ講義を受講している仲の良い友達が既に入っていたので見学にも行かせてもらったのですが、こちらも機敏な動きについて行ける自信がなく(笑)断念・・・。
で、最後に残ったのが自主制作映画でした。

映画は裾野が広い総合エンタテインメントです。演劇的要素もあればカメラワーク、編集、音楽選び、ロケ地の選定、脚本、監督など・・・。やろうと思えばなんでもできるサークルでした。
それに、何よりそのサークルの雰囲気が自分のとても合っていました。初めて行った上映会の後の打ち上げに参加させてもらったのですが、どこどこのミニシアターでどこの国のなんて言う映画がやっていて気になってるとか、どこどこのJAZZ喫茶に行ってきただとか、やれ写真展に行ってきたとか、インドに行ってきたとか(笑)・・・テニスサークルとはまた違った意味で、とっても「東京の大学生」らしいサークルでした。
とどのつまり、男女の色恋もいいけど、こっちの「東京の大学生らしさ」の方がより自分に合ってると思ったんです。

そのサークルに入ってからは、どんどんセンスに磨きがかかって行きました。
田舎の底辺の県立高校の出身だった自分にとってはそのサークルで起きることはすべて新鮮でした。先輩にJAZZやLOUNGE系の音楽の名盤を教えてもらったり、あちこちにロケに行ったり、初めて触る映像編集ソフトを使いこなせるようになったり、都内のミニシアター情報にすごく詳しくなったり・・・。テニスサークルの頃のような華々しさはないけど、「ああ、自分大学生満喫してるなぁ」という実感は、テニスサークルにいた時よりも強かったように思います

結局そのサークルでは年次が上がると広報担当という役職まで勤めることになり、4年生になって卒業するまでずっと在籍していました。

一方ゲイデビューは2年生の秋頃でした。

しかし・・・ゲイ業界では自分のような属性のゲイはあまりモテないことが発覚!!(爆笑)
当時、いかにも映画制作をやっている文化系大学生らしい、ユニセクシャルでちょっと個性的なファッションが好きだったし、髪も長かったのです。

髪を切って、ファッションも今までの雰囲気は残しつつもうちょっと男性的なスタイルに変更しました。
まぁゲイの世界はわかりやすいもので、周りの反応もすぐに変わるわけです。

そこから少しずつ少しずつ軌道修正をしていって今に至るわけですが、今となってはひと目見ただけでゲイとわかるまでに変わってしまいました(笑)。

そんなこんなで文化系学生だった自分の学生生活について書いてみました。

「元体育会系」というゲイ業界でのモテの称号とはまったくもって無縁過ぎるほどの学生生活でしたが、自分にとってはかけがえのない大学生活でした。

皆さんはどんな学生生活を送っていたのでしょうか。
「人に歴史あり」とはよく言ったものです。
この春新たに学生生活を送られる皆さんの参考になれば幸いです。


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