震災から1年の今日、思うこと

どうも、英司です。
いよいよ4月のお花見のお誘いなんかが来始めて、春を感じる季節になってきました。
皆様このごろはいかがお過ごしでしょうか。

■震災から1年

今日3月11日は、ちょうど東日本大震災から1年が経ちます。
多数の犠牲者の方々のご冥福をお祈りするとともに、今もなお被災地にて避難所での生活を送られている方には1日も早くもとの生活に戻れることを願ってやみません。

そんなわけで、この1年の変化について、自分の思うところを記録しておきたいと思い、エントリーしました。

■「絆」「頑張ろう」という言葉について

この震災を機に、「絆」や「頑張ろうニッポン」的な言葉がメディアを通じて数え切れないほど発信されました。この震災を契機として、日本人が忘れかけていたものを取り戻そうという意味はすごくわかるし、それ自体はすばらしいことだと思います。

しかし、この言葉に若干の危うさも感じてしまう自分がいました。
これらの言葉は、「大災害に見舞われた、かわいそうでイノセントな被災者の市民たち」という、作られた物語に被災地・被災者を無理やり埋め込むようなニュアンスを含んでいるようにも思えます。
単純にこれらの言葉に勇気付けられる人ももちろんたくさんいらっしゃるでしょうが、一方で「かわいそう」なんて思われなくない人もいるかもしれません。まだまだこれらの言葉が示すような前向きな気持ちになんてなれない人だってたくさんいらっしゃるかもしれません。

この1年、あらゆるメディアがこの震災のことを取り上げてきましたが、そのほとんどが「外部」からの、あらかじめ「想定された物語」の枠に当てはまるように被災地・被災者を映し出すものが目立ちました。

メディアを通じてこの状況を目の当たりにした多くの市民が「暖房のついた部屋で何もできずにいる自分はこんなことをしてて良いのだろうか」と自分を責めたり、行き過ぎた「自粛」のムードが生まれたりしました。この状況を精神科医の香山リカさんは「共感疲労」と名づけ、そのコラムを震災後割と早い段階で発表していました。

案の定、香山さんの指摘どおりテレビで幾度も悲惨な光景を目にした人々が体調を崩したり、精神的にも負担を感じてしまう現象があちこちで報告されるようにもなっていきました。

被災地には家を流され、家族を失い、その悲しみは震災から1年が経った今でも癒えることなく、そんなに簡単に「頑張ろうニッポン!」なんていう前向きな気持ちにはなれない人もたくさんいらっしゃると思います。

僕もつい上記のような言葉を使ってしまいがちですが、被災地にはそうそう簡単に前向きな気持ちにはなれないくらいの状況にいらっしゃる方もまだまだたくさんいらっしゃるということを頭の片隅に置いた上で、震災のことを語るよう、心がけたいと思った3.11でした。

ともあれ、これからも3.11という日が、命の大切さを語り継ぐ日になることを願って止みません。


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いらっしゃいませ!英司と申します。中央線カルチャーが好きで、東京・高円寺に在住の会社員。日々感じたことから、少し役立つ(?)情報まで、いろいろ発信していければと思います。

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