ゲイの僕から見た性同一性障害

どうも、英司です。
いやはや、先週土曜日の東京はめちゃめちゃお花見日和な一日でして、僕も友人たちと代々木公園に行きました。毎年お花見は少し肌寒い記憶があるのですが、今年は暖かく過ごせましたね。


■性同一性障害の方が置かれた現状について

先日、少し機会があって『ザ!世界仰天ニュース』で、数年前に性同一性障害を取り扱った回の動画を見て、いろいろと思うことがありました。



ちなみに僕がこのブログでよく書いている「同性愛」と、今回話題にしている「性同一性障害」はまったく別の概念のものです。以前の日記でその点まとめたものがありますので、よろしければこちらからご参照ください。



ざっと放送の内容をまとめると、男性として平凡な家庭に生まれた雄一郎さんは、幼い頃からママゴトやぬいぐるみ遊びが好きで、お友達も女の子ばかりでした。

最初のうちは両親も、「まぁ年齢が上がれば男の子らしくなってくるでしょう」と特に気にすることもなかったようですが、幼稚園や小学校に上がっても女の子みたいな趣味には変わりなく、男の子らしい格好をすることにも抵抗を示し始めます。将来を心配した両親は高校までエスカレーターの男子校へと息子を編入させることになりました。

しかし思春期、青春期と成長していくにつれ、自分の身体が男性的な成長を遂げていくことに違和感や恐怖感に似た感情を覚えていきます。幸い、エスカレーター式の男子校の中では顔見知りしかいない世界。不思議と「女の子っぽいキャラ」、という個性を受け入れられていくことに。

ただ、年を重ねるにつれて男らしくなるどころか、どんどん女性らしくなる雄一郎さんに、両親は「気持ち悪い!」などというひどい罵声を浴びせるようになっていき、親子仲はギクシャクしていく一方。雄一郎さんにとってこの時は、キャラクターが確立されていた学校だけが唯一気持ちが休まる場所だった、と言っています。

それでも、東京の大学に進学すればなんとか自分の人生が開けるだろうと頑張って勉強をして、見事都内の有名大学に合格。しかしそこで待っていたのは思いもよらない日々。

このとき、見た目やファッションは完全に女性のようになっていた雄一郎さんは、入学してすぐにあった身体測定や、講義の際の出欠確認のたびに好奇の目で見られるようになり、すぐにその噂が広まります。ときには大学の期末試験中、替え玉受験と疑われてテストを中断させられるなど、通常の大学生活を送ることも困難に。

女友達として友達になってくれた人も、事実がわかるとどんどんと離れていき、知ってる人しかいなかった男子校の生活とはまったく違った、辛い毎日を送ることになります。

両親には相変わらず辛く当たられることばかり。もうこのままでは誰も幸せにならないと、限界を感じた雄一郎さんは、20歳の誕生日に自ら役所へ出向き、両親から自分の戸籍を抜き、大学には休学届を出し、翌日には家を出ることを決意。

両親にそれを話したところ、案の定止められ、両親は、そこまで言うならと今後遺産の相続権を一切放棄するよう求めたら、雄一郎さんはこれも承諾し、宣言どおり家を出ていってしまいました。
家を出てからはニューハーフクラブなどで働いて生計を立てる日々。職場の先輩たちは仕事以外のことにもいろいろな相談に乗ってくれて、初めてありのままの自分が認められた感覚を得た、といいます。

そんな生活を続けて2年。ホルモン療法などを経て、タイで性適合手術を受けて、晴れて名実ともに女性としての人生を手に入れる、というところで話は終わります。


参考:YOUTUBE




たかだか10年ちょっと前なのに、時代背景の差に愕然

まぁ、バラエティ番組なのである程度の脚色などはあるにせよ、多かれ少なかれ、おそらく大筋的には多くの性同一性障害の方がこうした経験に心当たりがあるのかもしれません。

同性愛者が抱える問題とも一部重複するところはありますが、いやいや、こういうものを比べるのも良くないとは思いつつも、何倍もの困難をくぐってきているな、というのが率直な印象です。

同番組は、よく難病と闘う世界中の人たちや珍しい障害に苦しむ人への取材と再現ドラマをやっていますが、多くの被取材対象者の場合、その病気や障害と家族が一丸となって戦っていく、という美談仕立てのストーリーが展開されます。

しかし、性同一性障害の回はまったく異質で、一番最初に大切な家族からその障害を拒絶される、という点が他の回とはまったく違います。

無理もありません。確かに実際にこの再現VTR通りのご両親だとしたら、ちょっとひどいな、とは思いますが、雄一郎さんは1984年生まれで僕と同年代。

90年代に幼少期や思春期を過ごしてきたわけですが、性同一性障害という障害名が認知されたのなんて、ここ5年~10年に満たない間の話。ご両親が熱心に子育てをしていた80年代~90年代では、そんな人は世間ではニューハーフとかオナベとか言われてて、夜の世界の特殊な人、というくらいの認識しかなかったんだと思います。

実際のところ、2014年の今でこそ性同一性障害として生まれてくる人の数は、国籍や人種に関係なく一定数いることはあらゆる科学的なデータで証明されていますが、そういった情報が日本でも知られてくるようになるのは、雄一郎さんが両親とのケンカが絶えずに苦しんでいた時期よりももっと後の時代の話になります。

また、他の先天性の障害とは違い、その兆候が見えてくるのが男女の性差が現れ始める思春期の頃に重なることが多く、ちょうど人目を気にしたり、大人からすれば笑っちゃうような他人とのちょっとした違いでさえも「自分は人と違う」と不安になったりする年頃。

やれ筆箱やノートが友達と違うだけでギャーギャーと騒いでいるような思春期の頃に、自分は自分の生まれ持った性別を受け入れられない、というのは、ものすごい不安感や恐怖感があったことと思います。

僕は同性愛者ですが、なんとなくその感覚の一部はわかる気がします。
僕も周りの男友達が女の子を性的な目で見始めるとき、自分にはそういう感情がなくて人と違うと思いましたし、自分はちょっと周りの男の子たちよりも子どもっぽいだけで、そのうち自分も女の子に興味を持ち始めるだろう、と思ってましたが、周りの「普通の男友達」との性的指向の差は追いつくどころか自分が意図しないまったく違う方向へ進むばかり。自分が「普通の人生」から外れて行って、コントロール不能になっているようで、日に日に不安感や劣等感は強まっていく一方でした。なので僕も思春期にあまり明るい印象はありません。

ただ、僕は性的指向は男性ですが、性自認も男性ですので、男性物の制服を着ることや、当時の男子の間で流行しているものを身につけることにはとくに抵抗などはありませんでした。髪の毛はむしろ短い方が手入れも楽でよく短くしていましたし、たとえ誰か同性を好きになってしまうことがあっても、心のうちに黙っておけば(それはそれで当時の自分にはとても辛いことでしたが)周囲を偽っている罪悪感や息苦しさはありつつも、親や友人に何も勘付かれることなくなんとか思春期や青春期を乗り切ることができました。

ただそれが性同一性障害の方の場合、もう男物(もしくは女物)の制服を着て街を歩くこと自体が苦痛、と思ってしまう場合もあるようで、それを強制されるというのは、感性がまだやわらかい10代の頃にしては辛いことだと思います。

想像してみると辛いことです。僕達の感覚で言えば、突然「明日からあなたは女性ものの洋服やスカートを履いて生活しなさい!!」と言われるようなものなんですから…。自分の中では心の性に合った格好をしているつもりなのに、それが周囲から見れば「異装」と取られ、いたずらにニューハーフショーなどのイメージと勝手に結び付けられ、家族や友人から孤立してしまう。

このVTRを見て、おそらく僕のような一同性愛者が思春期の頃に抱いた苦痛の、倍やそれ以上の苦痛や恐怖感を感じていらっしゃったかと思いました。また実際日本で戸籍上の性別の変更を行う場合、かなり厳しい条件がいくつもあり、その一つに男性器の切除手術を済ませる必要もあります。これには命の危険を犯すような手術を伴いますし、同時に行うホルモン治療でも、一生副作用に苦しまなければなりません。

このように、生まれ持った心の性別に身体的な性別を適合させるのは、文字通り「命がけ」の治療となるのです。


同性愛者の場合はかつて、キリスト教圏で同性愛は犯罪行為とされてきた時代を経て、その後は長らく「精神疾患」という烙印を押されていました。しかしこれは治療やリハビリが必要な「病気」や「障害」ではなく、無理に治す必要のない「ライフスタイル」や「個性」に属するものだ!という運動が欧米などを中心に展開されてきました。1993年5月17日には国連の保健機関であるWHOの「国際疾病分類」から「同性愛」の項目が正式に削除。日本も、1996年にこのWHO発表の分類を批准し、この日本でも名実ともに同性愛は「治療すべき病気」ではなくなりました。

ただ、性同一性障害になるとこの流れはまったく違ったものになります。
同性愛者の場合、「病気」や「障害」というレッテルを払拭することに注力をしてきたかもしれませんが、性同一性障害の場合、「異装者」「性的倒錯者」という奇特な視線を払拭するために、これは一種の「障害」であること、また、心の性と身体の性を一致させるための「治療」が必要であることを訴えていく必要がありました。

ここが同性愛と性同一性障害の根本的な違いになるのかな、と思います。

同じ「障害」と言われても、文脈によってはそれで「自分って障害者なんだ…」と傷つく人もいれば、障害と認定されることで「今まで自分が周囲の人と違うと感じてきたのは、障害のせいだったんだ」と安堵し、保護が受けられて救われる人たちもいる。

これが一概に「人を障害や病気扱いするのは良くない!」とか、逆に「かわいそうなんだから病気として扱ってあげよう!」とかいう論調では掬いきれない難しいところ。

以前の日記で、ゲイリブはもう自分たちを被福祉対象者として世間にアピールするような主張はやめた方が良い的なことを書きましたが、こうした同性愛者=被福祉対象者という主張は、おそらく性同一性障害の方々の展開してきた主張や運動の影響、成功体験の事例からヒントを得ているものと考えられます。

よく、「セクシュアルマイノリティ」や「LGBT」をひとくくりの主語として使われることの多い昨今ですが、抱えている問題の質があまりにも違い過ぎて、もちろん一部では共感出来る部分はあるにせよ、互いが互いの主張や運動を参考にするにはあまりに文脈や背景に開きがあるように感じました。

日本では同性婚や性的指向の差別を禁止する法律などよりも先に、性同一性障害の方が戸籍上の性別を変更するための手続法が成立しました(世界的には異例のことのようです)。さまざま議論はありますし、性同一性障害当事者の方たちからすれば、この法律自体にもまだまだ課題が山積しているようですが、僕個人としてはこの優先順位付けに誤りはなかったんじゃないかと思います。

同性婚やパートナーシップ法は欲しい、もちろん、ないよりもあった方が良いの当然のこと。だけど、一方でいろいろなことを知るにつけて、当事者の方が置かれている困窮具合、生きづらさ、窮屈さを客観的に検証すれば、性同一性障害への理解や法整備は、より急がれるべきなのかもしれません。

盲点になりがちな視点でしたが、性適合手術を受けていない性同一性障害の方にとっては、性別の記載がある年金手帳等の提出が求められる正規雇用での就労を辞退するケースなどもあり、自ずとそれが職業選択の自由を妨げるものになるばかりか、貧困問題につながり、果てには病院での診察などにも行けず満足に医療サービスを受けることさえできない。
トイレに行くの一つにしたって、周囲への配慮で気疲れしてしまう。同性愛者としての生活の、何倍もの点で生活に支障をきたす場面があることに気づきます。

また、VTRの雄一郎さんのように自分自身のアイデンティティの在処に悩み、孤独な幼少期を過ごす子どもの苦しみも大変なものです。幼少期や思春期に感じる孤独感という点では、同性愛者の子どもも同じですが…。

それを考えたとき、やはりまずは健康に働けて、今々すぐに政府や法の助けを必要としない大人の健康な同性愛者は極力自立、自走をするよう勤め、より困っている人に「どうぞお先に」と言えるくらいの余裕は持っておきたいもの。

現在薔薇族を主宰されているゲイのライター・編集者の竜超さんが以前ご自身の著書の中で一部の同性愛者が同性婚などを激しく求めてロービーイング活動などをする姿をさし、「なんだかお腹いっぱいにご飯を食べた人たちが、今度はデザートをくださいと言っているよう。すぐとなりには、明日食べるものがない人がいるのに。」というような趣旨の発言をされていました。

いろいろな問題を知るにつれ、竜さんのこの発言の意味をとてもよく理解できるようになってきました。

同じ性的少数者とはいえども意外にも共通点が少ない両者ですが、こうした自然で粋な譲り合いができるようなコミュニティにいつかなっていけばいいな、と思いつつ。


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