憲法記念日に、日本について考えたこと

どうも、英司です。

またまた久々な更新になりました(笑)

連載を持っているLGBTメディア「GENXY」でもネタがないと吹聴している中でのブログ更新なので、編集から怒られそうですがちょっとばかし雑感を。

■ゴールデンウィーク中にあった憲法記念日を受けて


ゴールデンウィークは晴天にも恵まれ、僕もBBQをしたり、東京に遊びに来た友人を誘ってみんなで飲みに行ったりと割と楽しく過ごせました。

ゴールデンウィーク中の5月3日は、ご存知の通り憲法記念日です。
1947年(昭和22年)5月3日に、現行の日本国憲法が施行されたことを記念して、この日が国民の祝日となりました。

この日を機に、ニュースやSNS上でも日本国憲法に触れる記事や意見を多く拝見しました。その中で、僕の個人的な考えをまとめておきたいと思います。


■制定当時、非常に先進的だったこの国の憲法


まず、下の表を見てください。

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表を見てみると、当時まだ約3割の国にしか認められていなかった「違憲立法審査権」や「生活権」を明確に規定しており、4割に満たない国しか宣言していなかった「拷問の禁止」を明言しています(しかも、これを定めた第36条の条文は「拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる」となっており、そもそも憲法自体が「絶対に」守られなければならないものであるにも関わらず、敢えて「絶対に」と明記するなど、かなり強い表現になっています)

上の表では、1946年、1976年、2006年の3回に分けて定点観測がなされているのですが、日本国憲法が公布されたのは1946年で、広く知られている通り、私たちの国の憲法はそれ以来1度も改正がされていません。

つまり、1946年に公布されたものであるにもかかわらず、21世紀の現代においてもなお世界標準レベルとされる権利をほぼすべてカバーしており、これが1946年に公布、翌47年から施行されたことを考えると、当時にしてはいかに先進的な内容であったかが伺い知れます。


■現行憲法に対する私の立場


私は基本的に、憲法改正には賛成の立場です。特に自衛隊の立場を明確に規定することは絶対に必要で、そうするとすぐに「お前は戦争がしたいのか!」というご批判に遭ってしまいますが、私は好戦的な人間ではないし、ましてや未来永劫、この国が戦争に巻き込まれることなどまったく望んでいません。

しかし、現行の憲法では日本に軍隊は存在しないことになっており、それを何かが起きるたびに解釈によって変更するというのは、その時々の内閣に恣意的判断の余地を残すということであり、かえって今は、日本国憲法が非常に危険な方法で運用されているな、と感じています。

そうであれば、日本が持ち得る兵力は国民の生命保護を目的とした自衛兵力に限定すると宣言した上で、できること(災害救助や国外で何らかのトラブルに巻き込まれた邦人の移送等)と、できないこと(他国の領土侵略等)を明記し、地位を確定させることで、その時々の内閣に解釈の変更による恣意的な運用の余地を残さないことが重要かと考えます。

そもそも憲法とは、時の指導者の権力乱用から国民を守るためのものであり、その憲法に、時の指導者の解釈変更による運用という「綻び」が存在すること自体が危険なのではないでしょうか。


■合衆国憲法とアメリカ独立宣言に強い影響を受けた日本国憲法


前出のように、日本国憲法は制定当時から非常に先進的な内容であったとされています。この原案を考えたのは皆さんもご存知の通りアメリカ合衆国です。一般的に日本国憲法は合衆国憲法とアメリカ独立宣言の影響を強く受けていると言われています。個人の基本的人権にかなりの比重を置いた点などは確かに非常にアメリカらしいです。

同時に、平和憲法であるとも言われています。これを理由に右側の人が「アメリカは二度と日本に戦争をさせないために9条を押し付けた!!」と興奮気味に語り、左側の人は「いや、9条があったから日本は平和だったのだ!!」と興奮気味に反論するという光景はもう70年に渡りこの国でお馴染みの光景ですが、そうそう単純なものでもないな、ということを最近感じます。

この件に関しては大学生の頃など、様々な議論を聞けば聞くほどどちらの言い分も正しく聞こえ、若い頃の自分には少し難しすぎる問題だったな、と今になって振り返っています。

大人になり、それなりに社会経験を積み、まがりなりにもあの頃よりも少しは大局観を得た今、少しこの部分について自分の立場を整理しようと思いました。


■「9条論争」はいつも不毛


私は、右側の人が言うように、第二次世界大戦で痛手を負ったアメリカは、日本を戦争のできない国にしようとしたことは事実だと考えています。しかし一方で、それは「9条」の押し付けのみによって達成しようとしたわけでもないと思います。

日本国憲法が平和憲法と言われる所以は9条以外にも、基本的人権の尊重や国民生活の向上に重きを置いた憲法であることもその理由のひとつとなっています。

しかしアメリカが賢いところは、このように基本的人権の尊重に重きを置いたことは単に自分たちの国の憲法のコピーを日本に適用した、という単純な発想ではなかったことだと思います。

戦前、日本政府は景気浮揚策として主にアジアをターゲットとした外需に目を付けました。当時、自国のインフラ整備事業等が一巡し、国内の経済は飽和状態になったと考えた日本政府が外需頼みの経済政策に舵を切り、その結果当時欧米諸国の植民地だったアジア市場への進出の野心を駆り立て、最終的に戦争の道へと突っ走ってしまったと分析したアメリカは、基本的人権の尊重や個人の生活権を高度に守り、国民生活の向上を高らかに謳った憲法を制定することにより、今後日本政府が外需頼みではなく内需拡大型の経済政策を取りやすくするようにした、という側面があります。

つまり、現行憲法は、何も前文や9条だけでなく、そのすべてに渡って「戦争をしない」というスピリットが通底していると考えられます。

しかし、私はこれを「アメリカに押し付けられた!」などと言って、一概に悪いことと言い切ることはできません。むしろ、国家の経済発展と市民生活の向上が両輪駆動で、かつ大変早いスピードで実現できたのはまさにこの憲法が目指したところであり、しかもその間、この国が一切の戦争に巻き込まれることがありませんでした。

日本の内需拡大による国民生活の向上という方向性の経済政策が進むにつれ、トヨタ自動車やSONYのようなアメリカ製品を駆逐する企業が誕生してしまったことはアメリカにとって誤算だったとしても、概ね当初の狙いどおり、日本は内需拡大型による経済発展を果たすというシナリオどおりに歴史は進みました。

こうした背景を考えたとき、9条のせいで日本は骨抜きにされたと現行憲法のすべてを否定する、あるいは9条のおかげで日本の平和は守られたと盲目的に賞賛する、という9条を軸にした全否定・全面支持型の護憲改憲論争がとても不毛に思えてきます。


■憲法改正には賛成だけど、現政権与党の改憲案には反対


ここまで見てきたように、現行憲法は様々な問題を抱えつつも、こんにちの私たちの豊かで安全な社会生活の基礎となったことは疑いようのない事実であり、どのようなきっかけや思惑があろうとも、「戦争をしない」という理想、そしてその理想を実現するために権力の乱用を徹底的に否定し、国民生活の向上を謳ったことは、歴史的必然性の観点からも正しいことだったのだと思います。

憲法記念日を機に、2017年現在の政権与党である自民党の改憲案の前文を読み込み、現行憲法の前文と比較をしましたが、私としてはこれは、到底受け入れられるものではありませんでした。

まず、現行憲法の前文を見てみます。


====以下引用====

日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。

そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。

日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。

われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

====引用以上====


「わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保」「主権が国民に存することを宣言」などと言った表現は、いかにもアメリカ人が好みそうな言い回しで、全体的にハッキリとした物言いが目立ちます。

また、日本国憲法なので本来であれば日本国について書いていれば十分なところを、前文の中盤に来ると国際社会の中の日本という概念で書かれていたり、全世界の国民の人権に触れていたりするなど、すでに戦後世界の覇権を狙っていた当時のアメリカ的思想の影響をモロに受けています。

私たち日本人にはちょっとキザでこっ恥ずかしい表現も時々出てきますが、「憲法は指導者による権力の乱用から国民を守るものである」という強い意志が感じられます。


一方、現与党の自民党による改憲案はと言うと…


====以下引用====

日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴く国家であって、国民主権の下、立法、行政及び司法の三権分立に基づいて統治される。

我が国は、先の大戦による荒廃や幾多の大災害を乗り越えて発展し、今や国際社会において重要な地位を占めており、平和主義の下、諸外国との友好関係を増進し、世界の平和と繁栄に貢献する。

日本国民は、国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り、基本的人権を尊重するとともに、和を尊び、家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する。

我々は、自由と規律を重んじ、美しい国土と自然環境を守りつつ、教育や科学技術を振興し、活力ある経済活動を通じて国を成長させる

日本国民は、良き伝統と我々の国家を末永く子孫に継承するため、ここに、この憲法を制定する。

====引用以上====


「憲法は指導者による権力の乱用から国民を守るもの」という定義に照らし合わせたところ、率直に言って現行憲法よりもかなり後退している印象を受けます。

国民が自国への愛国心を持つべきかどうかの議論はここではナシとして、全体的に、国民にあれして欲しい、これして欲しい、とお願いばかりしているような憲法?という印象ですね。

そして、「今や国際社会において重要な地位を占めており」と明言しているにも関わらず、現行憲法に見られたような国際的な視点、国際社会の中で日本は何を発信・実現したいのかについてはどこかにすっ飛んでしまっています…。

この前文内で、日本政府は下記のことを国民にお願いしています。


  • 国と郷土を誇りに思うこと
  • 国と郷土を自ら守ること
  • 和を尊び、家族や社会全体が相互に助け合うこと
  • 美しい国土と自然環境を守ること
  • 教育や科学技術を振興すること
  • 活力ある経済活動を通じて国を成長させること


私は自民党は特段嫌いではないですし(好きでもないですが)、長きに渡り政権を担った政党として責任ある提言をする政党だという印象を持っていました。

しかし、正直に言ってこれは酷すぎる。そもそもですが、憲法は国家権力の暴走から国民を守るものであって、国民にお願いごとをするものではありません

国民にあれをしろ、これはするな、と規定するのは法律であって、その法律は、憲法が定めた国民の権利を侵害してはならないとされています(これが憲法が「法律の法律」などと公民で教えられる所以です)。

莫大な予算と優良な人脈を持っているであろう自民党が、(おそらく専門家などに頼んでいるのに)なぜこうした憲法と法律の関係性も理解していないような前文を「たたき台」として発表しているのか、本当に理解に苦しんでしまいました。

もしかして、「国民のほとんどは憲法と法律の違いなんてわからないだろうからこれでいいか」みたいな気持ちで作っているのでしょうか。そうだったとしたらそれは大変腹立たしいことです。

「これはあくまで『たたき台』であり、詳細な議論はこれからで…」という言葉も見聞きしますが、こんなもの「たたき台」にすらなっていません。

憲法とは究極的には、将来何かの間違いで極悪非道な奴が指導者になったとしても、決して国家を滅亡させない、国民の人権を踏みにじらないようにするためにあるものです(特にドイツの件でこれは思い知ったことでしょう)。この前文を見たときに、私はまったくその気概を感じられませんでした。

おまけに具体的な草案を出しているのは自民党だけで、他の野党は党内をまとめきれていないとすら言うのですから、なんと言うことでしょう、この惨状…。


■より良い国であって欲しい


ここまで見てきたように、憲法というものはその先100年単位で国家の命運を決定付けるものです。

私はこの日本という国、そしてこの時代に生まれて来て本当に良かったと心から思っています。

時々立ち止まって考えることは必要だし、昔を懐かしむことは時に必要だと思います。しかし、殊に「立憲主義」や「民主主義」というものに関しては、後退は絶対に許されません。前進しかないのです。

これからも「この時代のこの国に生きていられて良かった」と思い続けられる国であることを願います…(ちょっと心配になってきましたが)


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【映画レビュー】『ベルリン、天使の詩』(1987年/西ドイツ)

どうも、英司です。

久しぶりに映画レビューでも書きたいと思います。先日、早稲田松竹にてリバイバル上映された不朽の名作「ベルリン、天使の詩」(1987年/西ドイツ)を見に行きました。この映画は学生時代からとても好きだったのですが、あいにくDVDでしか見たことがなかったので、今回初めて劇場で見られるチャンスが訪れて大変貴重な機会でした!

ひとまず、まだ見ていない方や、見る予定もない方にも楽しんでいただけるように心がけてレビューを書きますので、よろしければお付き合いください。


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※かなり個人的な解釈がふんだんに含まれておりますのでご注意ください※


この映画が劇場公開された1987年と言えば、まだベルリンの壁が存在していた時代。四方を壁で囲われたベルリンという街が持つその特殊性に注目した作品なのではないかと思いました。


(ご存知の方が多いかと思いますが、誤解されやすいため解説を…ベルリンの壁は、西ドイツと東ドイツのすべての国境線に建てられていた壁と思われている方もいらっしゃるようですが、そういうわけではありません。ベルリン市は西ドイツの領土でしたが、それは西ドイツの中にはなく、東ドイツの領土の中に「飛び地」として存在していました。東西ドイツの格差が次第に広がる中、目覚ましい経済発展を遂げる西ドイツへの亡命を希望する東ドイツ人が、このベルリン市に駆け込んで亡命を果たす例が後を絶たず、東ドイツ政府がそれを防ぐためにこのベルリン市を囲うように建てたのがいわゆる「ベルリンの壁」です)


思うに、私たち日本人も含め、この映画が制作された時代に生きていた先進国のほとんどの人々は、ご年配者以外にとって「第二次世界大戦」は直接的な記憶とは断絶された過去の歴史上の出来事であり、東西冷戦は進行中の出来事ではあったものの、それは自分の毎日の生活とは直接的に関係のない、エライ人たちが威勢を張り合っているどこか遠いところで起きている話、という感覚だったのではないでしょうか(私自身、その時期はまだ物心が着く前だったのであくまで予測ですが…)。

しかし、ベルリン市民にだけはこれが当てはまりません。
毎日働き、食事をし、遊び、休息するその街は壁で囲われた街であり、その壁は「戦争(=ナチス)」の記憶を陸続きのものにし、共産主義と資本主義という政治体制が世界を二分している現実を強烈に意識させ続けるものです。

敗戦国としての自虐性と、同じ国でありながら西側陣営と東側陣営の最前線として緊張関係にある宿命を背負わされたのが、壁に囲われた街に暮らすベルリン市民だったのではないでしょうか。

当時のベルリン市民にとって戦争(=ナチス)は過去の歴史上のものではないし、東西冷戦も遠いところで起きている話ではありません。自分たちの日々の生活に、これらの苦悩を思い出させる「壁」は常に存在しており、この「壁」が、当時のベルリン市民の心に深い影を落としていたのではないかということが予測できる演出が随所に見られます。

現に映画内で、人々の心の声を聞くことができるとされる天使たちが読み取る市民たちの声は、どれも大変詩的で美しいフレーズばかりでありながら、どれも感傷的で退廃的です。これらの声が聞こえる天使たちの目線で描かれる映像がすべてモノクロームに統一されていることも、この時代のベルリンに漂っていた陰鬱とした空気感をうまく演出していたのではないかと私は読み取りました。

そして、「戦争(=ナチス)」の悪夢を思い起こさせる演出も随所で見られます。

天使たちは、かつて戦争で瓦礫の山となっていた通りばかりを選んで歩き、そこに戦時中の実際の映像を折り入れながら物語が展開します。

また、ナチスがかつて戦時中に焚書をしていたことを想起させる映像と対比させるかのように、天使たちが集まる場所の設定として「図書館」が選ばれています。

実際の歴史では、この映画が公開された2年後の1989年に、ベルリンの壁は崩壊しました。映画が制作されていた当時、既に東側諸国は崩壊寸前であり、革命前夜の様相を呈していたものと思われます。

この時すでに、アメリカ映画界で成功を納めていたヴィム・ヴェンダース監督は、そんな祖国のたどった数奇な運命と、国や都市が背負った宿命が人々の心にどのような作用を生むかを、後の歴史に残しておく必要性に駆られたのではないかと私は勝手に予測しています(「図書館」の演出はここにも帰結していると私は解釈しています)。


私もこの映画を見たのはもう4回目?くらいでしたが、初めて見た時(大学生の頃)はただただ詩的で幻想的な世界観にうっとりしてそこまで深く考えて鑑賞しませんでした。
(実際、ストーリーとしては「人間には見えないある天使の男が、人間である舞姫に恋をし、自分で生き様を選択していく」というだけの、大変シンプルなものです)

しかし、かなり含みのある作品ですので、見るたびに新しい解釈が生まれたり、見る人によって注目すべきポイントが異なったりするところが面白い作品です。

特に、他のファンの方のレビューなどを見ていると大変興味深いです。

この映画には実は語られていない設定があり、ベルリンに住んでいる天使たちは、第二次世界大戦にあきれた神が人間を滅ぼそうとしたとき、天使たちが神に諫言したために逆鱗に触れ、罰としてベルリンに落とされた堕天使たちの話である、という説や、ニーチェが遺した有名な言葉「神は死んだ」の議論の延長線上にある映画である、という説など、本当に多種多様な解釈がなされている映画で、とても面白いです。

ちなみに、同じく含蓄があり、解釈を観客に委ねるタイプの作品を撮る監督さんの代表格としてよく名前があがるのがフランス人のジャン=リュック・ゴダール監督です。『ミニシアター好きと言えばゴダール』と言われるくらい著名なヨーロッパ映画界の巨匠であるため、学生時代に何度かチャレンジしましたが私の頭では難解過ぎて理解できないものが多かったです(しかも、それはたぶん今もなお私の頭では理解できない自信だけはあります・苦笑)。

これは完全に好みの問題ではありますが、完全にアートや哲学、思想に振り切って映画を作っている(と、勝手に私が解釈している)ゴダール監督の作品よりも、同じヨーロッパ生まれの巨匠でもヴィム・ヴェンダース監督の作品の方が、時事性に絡めたり、社会問題などからインスパイアされて作った作品などもあり、今回のように舞台となっている国や地域、時代背景を理解することでより楽しめる作品などもある点、私の好みには合っていたかな、と感じています。

個人的にヴィム・ヴェンダース監督の作品では、『ランド・オブ・プレンティ』(2004年/アメリカ)なんかも、ニューヨーク同時多発テロをテーマにしつつも、アメリカ合衆国の繁栄の影に隠れた貧困や、家族、外国人など、9.11直後のアメリカ社会に漂っていた空気感をうまく保存したロードムービーだったと解釈していますし、この作品も結構お気に入りです。


いやぁ、なんだか久々の映画レビューを書いたらものすごい熱が入ってしまいました(笑)。そんなわけで、皆さんも素敵な一作に出会えますことをお祈りしつつ。




■『ベルリン、天使の詩』予告編





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会社を辞めて取り戻した平穏な日々―苦しんでいる方に伝えたいこと―

どうも、英司です。
最近はGENXYでの連載を持ってから、こちらのブログはまったく更新しなくなってしまいました…。

そんなわけで、久々の更新では連載コラムでは書けないちょっと個人的なことを。

最近、世を賑わせている「ブラック企業」ネタですが、私の体験した仕事上でのブラックな体験を書きたいと思います。


■8月に会社辞めました

今年の8月末を持って、2014年の11月からお世話になっていたWEBの媒体社を退職しました。それまで、企業の広報担当として、主に媒体社を相手にリリースを打ったり、取材に答えたりという仕事もしていたので、今度は媒体社側に行ってみたのですが、端的に言ってあの転職は人生最大の失敗でした。

■充実していた生活を捨ててしまった

件の媒体社(以下A社)に入る前に、広報・経営企画の仕事をしていた会社(以下B社)では、媒体社とのリレイションや取材対応という仕事の他、コンシューマー向けの広告制作と出稿、WEB分析とマーケティング、新規事業の立ち上げなど、小さな会社故に幅広い仕事を任されていました。

会社として新しい取り組みも多く、最初のうちは手探りなことが多く大変なときもありましたが、たかだか20代半ばのクソガキだった私にきちんと向き合い、信用してくださり、あそこまでいろいろな仕事を任せてくださった社長や役員には感謝していました。

ただ、20代最後の年、29歳になった時にいろいろと気の迷いが発生してきました。決して業績が悪いわけではなく(むしろ中堅企業にしてはかなり優良な黒字体質の会社だった)、人にも恵まれた環境ではありましたが、30代を迎えるにあたり、もっと大きなステージで活躍したい、と考えるようになっていきました。

当時の好景気も手伝い、転職活動は思ったよりもスムーズに進み、結果、B社よりも大きく、株式も上場しているある程度大手のWEB媒体社であるA社から内定をいただきました。このA社にて、タイアップ記事広告の制作ディレクターとして働くことになりました。

B社を退職することになり、社長や役員に退職の旨を伝えたところ、皆さん本当に残念がってくださりましたが、最終的に社長は、「ウチのような会社で経験を積んで、A社のような有名な会社で通用するなんて、誇らしいことだよ」と仰ってくださり、快く送り出してくださいました。まさに涙ながらのお別れでした。

そして、期待を胸に飛び込んだ新しい環境。A社での生活が始まりますが、ここでの生活は大変な後悔の連続でした。


■社会人としての能力が大きく後退した2年間

A社では記事広告の制作ディレクターとしての生活が始まりましたが、求められる能力と言えばいかに早く、ミスなく、多くの記事風広告を作れるかという「作業」だけで、営業と一緒に企画や記事案を考えたり、アクセス数を解析したりという、頭を使ったホワイトカラーらしい仕事は求められませんでした。

実際、評価方法も【担当した広告記事の本数×ミスの数】という単純なもので、言われた仕事以外のことをしてもまったく評価されない環境でした。

おまけに、上司(40代女性)との関係も最悪でした。当該の上司は常時必ず1人は「気に入らない奴」を見つけては、その対象を目の敵にして、やることなすこと全て監視した上で批判や攻撃をしまくるタイプで、一定期間それを繰り返すと、また違う対象を見つけて…ということを繰り返すヒステリー持ちの上司でした。

おまけにその上司は絶望的なほど口が悪い上に口が軽く、自分のチーム内で少しでも気に入らないことがあるとすぐにヒステリーを起こした上、カッとなってあることないことを他部署の人などにグチグチ吹聴する癖があり、チーム内で起きているトラブルなど、私が把握するより前に他部署の人に知られているということも多々あり、大変仕事がしづらい環境でした。

おまけに来る日も来る日も同じ内容の仕事ばかり、(頭は動かさず)ひたすら手を動かして記事広告の制作「だけ」に追われる毎日。次第に、B社で広報全般・経営企画室の仕事を試行錯誤しながらやっていた時代を懐かしく感じるようになっていきました。そして明らかに、自分が付加価値労働者という意味での「ホワイトカラー」としての能力が堕ちて行っている実感がありました。


■上司からターゲットにされる

そして、件の上司も、目をつけた社員いじめに飽きたり、ターゲットが辞めていったりで相変わらず次の標的を探している感じでしたが、不運にも、私がその標的にされ始めたのが、2015年秋くらい、ちょうど入社から1年経ったくらいの時のことでした。

言動のひとつひとつが監視され、いちいち嫌味を言われるようになり始めました。最初は耐えていましたが、例えば有給を取得しようと思い、申請を出すと理由を聞かれ、理由を話すと「そんなことで休むなんて頭おかしいんじゃない?」などと怒鳴りつけられるなど、明らかに労基法違反と思われる行為も始まり、徐々にそれはエスカレートしていきました。


■自分の無能さを隠すための異動

そんな中でも、必死に耐えていたところ、私が少し難しい案件を持つことになりました。クライアント側も非常にロジカルで、数字にも細かく、ツッコミも激しいお客さんでした。

私としても試行錯誤することとなります。ただ、それに関して助言を求めようと当該の上司に相談に行っても、「私にそんなこと相談してこないで!」と平然と言い放たれました。いかにも「メンドクサイ案件に関わりたくない」と言った様子で、結局のところその上司の更に上の上司に相談に行ってやっと助言などをもらえるという状況が続きました。

その案件は長期に渡る案件で、年度をまたぐことになりました。年度末を迎えたある日、上司に呼び出されました。すると、突然の異動が決まりました。異動と言っても、同じ部内の違うチームへの異動だったのですが、当該の難しい案件のみ私が持ったまま、違うチームへ異動することとなりました。

普通なら、持っている案件などは引き継ぎを行ってから異動するはずで、不自然に思いました。すると、案の定、社内の別の人が「○○さん、あの案件が面倒になったから異動させたみたいだね」と言って来る人がいました。

コストのかかる余剰人員など抱えている余裕のない中小企業にいた私としては、上司が難しい案件を解決できない場合、その上司が異動になるとか、降格になるとかなら筋は通るものの、当人にも少なからぬ負担になる異動を、自分の都合で部下に命じるなど少し神経を疑います。

なので、そういうのはおかしいのではないか、と然るべき社内の人間に相談したところ、返ってきた反応に言葉を失いました。

「○○さん(当該の上司)、未婚で40代でしょ?ウチの会社クビになったらもう行く先がない人だから、自分の能力がついて行ってないことを会社に隠しておきたいんだよ。だから許してあげて」

と言われました。
もうダメだと思いました。私がこのような動きをしたからでしょうか、異動した後も相も変わらず嫌味は続き、私に関してあることないことあちこち別部署の人にもぶち撒けて噂を立て、部内でも私の悪口を言い振らすなど、私を孤立させるような工作を取られました。

事実、当該の上司の直下で働いている同僚の何人かは、私が挨拶をしても無視するなど、あからさまに態度に現れるようになっていきました。もうこの会社ではやっていけない。仕事も面白くないし、人間関係も崩壊しそうだ…。そのどちらかがうまく行っていれば救いもありましたが、自信と希望に溢れて、社会人として輝きを放っていた29歳の頃の自分の面影はもはやそこにはなく、失意の底で自信を喪失してしまっていた31歳の自分がいました。


■恥を忍んでカムバックを決意

そんな状況からの突破口を画策していた6月のある日、前職であるB社時代の同期の誘いを受け、飲みにいくことになりました。B社の社長はまだ若く、私と誘ってくれた同期は先代から現社長が会社を引き継いだばかりの頃に採用された社員で、つまり、現社長にとっては自分が初めて採用した社員ということで、非常に強い思い入れを持ってくださっており、この日の同期との飲みにも社長が来てくださいました。

近況報告などをしつつ、思い出話に花が咲きました。しかし、悲しい気持ちになりました。

B社で培ったスキルが十分に活かせていない現在の職場。上司との関係もうまく行っていない日々の会社生活…。同期や社長に報告できうるような近況など私にはなく、とても悲しい気持ちになりました。同時に、またこの人達と働けたらどれだけいいか、と思うようになりました。

そして翌日、社長に前日のお礼のメールを送るとともに、恥を忍んでもし可能であれば、ぜひまた皆さんと一緒に働きたい旨を伝えました。

するとすぐに「そういうことだろうと思ったよ」と返信が来ました。後日、新たに社長や役員と面談をすることになり、その後は驚くほどスムーズに話が進み、再びB社から2回目の内定をいただくこととなり、カムバックを果たすことになりました。

B社からは可能な限り早めに来て欲しいと言われたため、内定が出た直後にA社に退職の意を伝えることにしましたが、ここからが新しい地獄の始まりでした。


■退職できない危機

早速、6月の中旬にA社に退職の意を伝えましたが、簡単に受理はされませんでした。例の上司は案の定ヒステリーを起こしてしまいました(私が辞めることで自分の評価が下がるという理由から)。

しかし会社にそれを止める権利などありませんし、こちらの意志は固かったので、社内で大変親身になってくださった方から慰留もされましたがこちらとしてはキッパリと、退職したい旨は変わらないと言い切りました。

結局、6月の下旬には私が退職することは内々で確定し、退職日も引き継ぎなどを含めて8月末日としたのですが、7月も末日になっても私が退職する旨がなかなか全社に広報されません。

全社広報がなされなければ、引き継ぎなどもできないため発表を引き伸ばしにされるのは困ると何度も申し上げ、その上私より後に退職する人の広報がされるようになった8月に入って、ようやく私が退職する旨が広報されました。もう、退職が2週間後に迫っているタイミングでした。

そういう事情からなかなか後任者を付けられなかったため、退職の2週間前になって急ピッチで後任への引き継ぎを行いましたが、到底間に合うものではありません。もっと前から退職することはわかっていたのに、こちらから何度も催促してようやく退職の広報がされる始末でしたので、そのままスルーしていたら私が退職を思いとどまるとでも思っていたのでしょうか。お客さんがいることで、引き継ぎに十分な時間を取れないなど本当にありえません。

結局、退職の前日になっても電話は鳴り止まず、連日深夜まで対応に追われる毎日で、退職日となる8月31日の夜に会社携帯とノートPCを返却してもFACEBOOKメッセンジャーに引き継ぎ内容に関するメールが飛んでくるなど、とても明日から違う会社に行くという感じではありませんでした。

私がA社に退職の意を伝えたのはもう2ヶ月半も前のことで、B社には限界まで待ってもらいました。それなのに私にも、私が次に行く会社にも迷惑をかけることにもまったく自覚がないA社には、最後の最後まで心底愕然とさせられました。


■在職中にプライベートで起きたこと

A社に在職中、プライベートでもいろいろと深刻なことが起きました。一言では言い表せないくらいいろんなことがありましたが、やはりその原因はすべて、自分の性格がキツくなっていたことに起因していると思います。

前述のように、日々上司には辛く当たられ、そのことに引っ張られるようにして仕事も満足にこなせなくなってしまっていました。

日々言動を監視され、少しでも上司の意に反したことをするとヒステリーを起こされていると、毎日必要以上に緊張してしまい、それまでうまくこなせていたこともできなくなってしまうなど、今考えれば精神的にかなり追い詰められていたな、と思います。

しかし、そういう環境にいると不思議なもので、理不尽な扱いばかりしてくるその上司に対して怒りを覚えることができなくなっていて、すべて「自分が悪いんだ」と思ってしまう(思わされてしまう)のです。

以前の自分では考えられないようなミスを犯してしまったり、休みの日など、寝ても寝ても疲れていていたりして、次第に仕事をしていない時間もいつもイライラするようになっていました。

そうしているうちに、心を許していた友人につい辛く当たってしまったりすることもあり、失ってしまった友人もいました。

今思えば、人に親切にしたり、思いやったり、友達や家族を大切にするという、人間として一番失ってはいけない道徳観をすっかり失ってしまっていたと思います。

A社に在籍中、ある時期からこのままではいけないと思い、カウンセリングに通い始めました。カウンセラーの先生と話しているうちに、仕事上、「怒り」という感情があると業務の邪魔になるので、「自分が悪い」と思うことで無意識的に必死に怒り抑えており、しかしそこで発散できなかった怒りがプライベートな時間に現れ、いつもイライラしてしまったり、人に当たってしまったりしているのだとわかりました。

その後、怒りをコントロールする方法などをいろいろと学びました。少しずつ怒りをコントロールできるようになって来ましたが、やはり根本的なストレスを取り除かない限り本質的な解決にはなりませんでした。

そうしたプライベートでの一面も、A社を辞めようと決心した理由のひとつでもありました。A社は新築のビルに入居し、デザイナーが手がけたオシャレなオフィスを持つ会社でしたが、私はそういう外面的にきらびやかな生活と引き換えに、取り返しのつかない大切なものを失っていたことに気付き始めていました。


■B社に戻った今、しばらくはリハビリ期間

9月1日に晴れてB社に再び迎え入れていただけることとなりました。B社に戻ったら早速、新規事業にアサインされ、会社が始める新サービスのプロモーション全般を担当し、今に至ります。

決められた仕事のやり方がなく、試行錯誤しつつも事業を進めて行けるこの感覚を取り戻すのに、そんなに長い時間はかかりませんでした。

今ではすっかり以前のリズムを取り戻し、同僚たちとの関係も至って良好で、日々の仕事にやりがいを持って取り組めています。

カウセリングにはまだ通っています。ただ今ひとつ悩んでいることは、A社の上司や、その上司の言いなりになって私を無視した人たちへの怒りが今になって沸々と湧いているということ。

またいつその「怒り」に自分が支配され、せっかくもうあの人達とは関わらなくて良くなったのに、誰かに辛く当たってしまったり、イライラしている自分のみっともない姿を誰かに見られてしまったりするのではないか、と、恐怖を覚えています。

先日カウンセラーの先生にそれを相談したところ、A社に在職中に必死に我慢していた「怒り」という感情が、友達や家族や自分に向くことはなく、自分を苦しめた上司や一部の同僚に向き始めたというのは精神的にとても大事なことで、噛み殺していた「怒り」という感情が時間差で正常な形で現れてきたことは精神が回復に向かっている証拠だと言ってくださり、気持ちもとても楽になりました。

時々A社に在職中のことがフラッシュバックすることもありますが、幸いにしてそのせいでイライラして人に当たったり、日常生活もままならないほどの怒りに支配されたりするまでには至っていません。

休日は仕事を忘れて気分転換し、平日は意欲的に働けている状況に変わりはなく、A社に在籍中のようにお酒や性行為に溺れるようなこともなくなりました。


■このエントリを見た人たちに伝えたいこと

私はA社に在籍中、上司のキツイ態度や理不尽な言動に直面するにつけ、いつも「自分が悪い」と自分に言い聞かせてきました。

ただ、ブラック企業や上司からのパワハラなどを経験した人は、一様にこれと同じ考え方をしていることに気づきました。

私も今思い返せば、あそこまで苦しい状況になる前に会社を辞めるという選択肢も取れたはずで、30歳を超えた大人になれば、その選択を咎めるような人ももう周りにはいません。

自分が悪いと言い聞かせることで「怒り」という感情が発生しないようにして仕事を続け、自費でカウンセリグに通ってまで仕事を続け…。もうちょっと早い段階で「逃げる」という選択肢を選べたのではないかと思います。

もし今、同じようなことで悩んでいる人がいたら、自分が悪いと言い聞かせることは良くないし、時に「逃げる」という選択が何よりも正しい答えだったりすることもあるよ、ということを伝えたいです。


今、少しずつではありますが、人としての優しさや温もり、他人を思いやる心を取り戻しつつあります。そういう意味で、2016年は「再生」の年だったと言えるかもしれません。



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あの人が迎えられなかった「今」

どうも、英司です。
かなりお久しぶりの更新となってしまいました。

最近はLGBTメディアのGENXYで連載を持たせていただき、なかなか個人ブログの更新が滞ってしまっていましたが、今日は、個人ブログだからこそ、そしてここ「陽のあたる場所へ」でこそ書きたい内容だったので、久々の更新をしようと思いました。

■この時期になると思い出すこと

僕は今、ちょうど5月に開催するBBQの準備をしています。ここ最近はGWは旅行にでかけたりして、5月はおとなしくしていることが多かったのですが、今年はGWは特に遠出はせず、細かい予定がちょこちょこ入っている感じなので、3年ぶりに5月のBBQを企画しています。

準備をする中で、あることを思い出しました。
3年前に企画したBBQは2013年5月18日(土)でした。
なぜそんなに細かく日にちまで覚えているかと言うと、この日の朝に真崎航さんが逝去なされたからです。

真崎航さんと僕との関係は、ご逝去当時に更新したこちらの記事をご覧ください。


初夏の爽やかな土曜日の朝、29歳の若さで突然逝ってしまった彼のことを、毎年初夏の清々しい風や青々とした新緑を見ると思い出すのでした。

■2013年で止まってしまった時間

当時の記事でも書きましたが、あの頃僕は28歳、彼は29歳。翌年2014年には僕は29歳になり、追いつくはずのない年齢が追いついてしまい、昨年2015年にはとうとう彼を追い越し、彼が迎えることのできなかった30代を迎えることとなりました。

僕も30歳を迎えた日、たくさんの友人たちが30代の幕開けを祝ってくれました。僕なんかよりもずっとずっと人望も厚く人気者だった航さんが迎える30歳は、きっとすごく華々しいものになっていたはずだろうと思います。

僕は2013年からあらゆることが変化しました。辛いこともたくさんあったけど、友人も増えたり、新しい趣味を見つけたり、楽しいこともたくさんありました。普通のアラサー世代のゲイが送る、普通の楽しく充実した生活を送りながら、時間を重ねてきました。

僕や僕の友人たち、はたまた航さんの友人たちは、あれから29歳、30歳、31歳、32歳…当たり前のように時間を過ごし、年齢を重ねて来ています。

しかし彼だけずっと29歳のまま。
そのことを思い出すと、今の自分は時間を徒労していないか、ちゃんと一生懸命に生きているか、身につまされる思いになります。


■あの人が迎えられなかった「今」


最近は仕事でもいろいろと大変なことが続き、なかなか思い通りにいかなかったり、自己嫌悪に陥ったりということもあり、無気力になってしまうことがありました。

正直、彼のことも忘れていたと思います。

ただ、5月のBBQの準備を進めるうちに、あの日のことも、彼のことも少しずつ思い出していきました。

彼が旅立ったあの時、「絶対に忘れません」と約束しました。そして、彼を思い出すたびに、彼が迎えられなかった「今」という毎日を、しっかり一生懸命生きているかどうか、自分に問いかけようとも決めていました。

5月にもし、彼がこちらの世界に帰ってきて、何かを伝えられるとするなら、こうやって自分に問いかけるきっかけや時間を与えてくれたことに「ありがとう」って言いたいです。
そして、「あれからの毎日も元気にやっているよ
と伝えたいです。

また、彼は生前、このブログの読者さんの1人でした。あちらの世界からもこの記事を見ていてくれているかな(笑)

この初夏に、彼が夢枕に立ってくれることを願って。

同性パートナー証明書発行 ゲイ当事者はこう見た

どうも、英司です。日に日に寒くなっていく最近ですが、皆様いかがお過ごしでしょうか。僕は今年もパートナーのいないクリスマスを覚悟しつつ(笑)、友人たちと冬の計画を立てています。

今日は2015年11月5日に発行が始まった日本で初めての試みとなる渋谷区の、いわゆる同性パートナー条例におけるパートナー証明書について私感を書きたいと思います。

■まずは渋谷区の、同性パートナーシップ条例についてのおさらい

いわゆる同性パートナー条例の正式名称は「渋谷区男女平等及び多様性を尊重する社会を推進する条例」といいます(以下「同性パートナー条例」と呼ぶことにします)。

この条例により同性パートナー証明書が発行される2015年11月5日は日本の同性愛者にとって歴史的な1歩に!……なるはずでしたが、この条例については条例案が議題に上がった当初から、ゲイコミュニティ内でもやや冷ややかな見方をする方も多く、そこに異性愛者側の反対運動なども起き、物議を醸し出した条例でした。

当事者である同性愛者さえこの条例を冷ややかに見た理由としては、これまで世田谷区など、LGBTについて活発な議論を繰り返して来て、LGBTが抱える諸問題について造詣の深い議員さんがいらっしゃる議会でさえ、何年もかけて慎重な議論を繰り返してきた同性愛者向けのパートナーシップ制度。それなにの、これまでそういった議論が活発に行われてきたことなど聞いたこともない渋谷区で、かなり唐突に、しかもマスコミ向けに派手にぶち上げられた同条例案に関して、一種の「怪しさ」や「胡散臭さ」と言った、「何か裏があるのではないか」というような印象を持った当事者が少なくなかったという背景があります。

時同じくして、各種経済誌などが「LGBTマーケット」特集を組み、明らかにLGBTになどこれまで何の興味も示してこなかったBtoC向けプロダクトやサービスを持つ企業などが「LGBTフレンドリー宣言」を行うなど、露骨にLGBT(特に同性愛者)の財布を狙った世の中の動きに対して、「ほら見ろ、やっぱりこういうことだよ」と冷めた反応を見せた同性愛者が多かったということです。

そもそもLGBTフレンドリー宣言をしたからと言ってサービスやプロダクトに何かしらの変化が加えられたわけでもなく、そういった宣言をすれば自然とLGBTが自社製品を選んでくれると安易に考える企業の姿勢などにも辟易した同性愛者も多かったように見受けられます。

この条例にはそういった一種の「商売気」のようなものを強く感じた当事者の多くは、同条例に懐疑的になったり、そもそも興味すら示さなかったりということが起きていました。

■申請と発行に8万円!? 渋谷区のパートナー証明書の実態

そんな中、11月5日のパートナー証明書の発行を前に、SNSを中心に俄かにこんな噂が流れ始めました。それは、渋谷区の同性パートナー証明書の発行には、8万円もの費用がかかる、というもの。

この件を耳にしたとき、筆者もあまりにヒドイ差別的扱いだと感じましたし、ヘテロセクシュアルの方々が婚姻届を提出するに費用がかかるなど聞いたこともありません。

前段の経緯もあり、これって困っているマイノリティの足元を見て、世にはびこる差別を利用してお金儲けを企んでいるように見えましたし、こうしたやり方は、少し前に横行した「貧困ビジネス」の変形版のようにも思えてきました。

LGBT市場やLGBTビジネスという言葉が、当事者不在なところで一人歩きしていた昨今、ヘテロセクシュアルに認められていて、我々同性愛者に認められていない権利を金で買わせる。これは筆者が受けてきたどんな差別よりもひどいものに感じましたし、この条例はむしろ、日本の同性愛者の人権を大きく後退させるものにさえ思えてきました。

世に言われている「LGBTビジネス」というものが、まさかこんなものだったなんて…。強い落胆と怒りを覚えた次第であります。

■同性パートナー証明書の発行が無料の世田谷区

一方、11月5日同日に同性パートナー証明書の発行が始まったのが世田谷区。世田谷区の場合、条例化はされていないため後ろ盾は乏しいものの、2人が同性カップルであることを宣誓すれば、無料で証明書を受け取れる行政サービスを開始しました。

11月5日、片割れが元タカラジェンヌのキラキラカップルを前面に出し、マスコミを多数呼んで「同性パートナー証明書発行第1号」を大々的に発表した渋谷区とは対照的に、世田谷区のそれはマスコミ向けの発表は実に簡素なものでした。

同じ内容の証明書の発行に、なぜここまで差があるのか筆者も気になったので、少し詳しく調べてみることにしました。

■渋谷区に必要な8万円の金額の内訳

渋谷区と世田谷区の決定的な違い。それは渋谷区では同性パートナー証明書の発行に公正証書の提出が必要で、世田谷区の場合2人の宣誓のみで発行が可能という点。

この「公正証書」というのが随分厄介なものでした。調べてみても法律の専門用語ばかりで、頭の悪い筆者には理解不能な説明も多かったのですが(笑)、要は片割れが亡くなったときの財産分与をどうするか、とか、病気で入院したときに家族として面会ができる、とか、ヘテロセクシュアルの方々が婚姻届を提出することで一発で得られる様々な権利を一覧にして、公証役場に提出し、法的効力を持たせるというもの。

この公正証書の作成というのが実は非常に複雑な作業で、お金もけっこうかかる、というわけです。実際に調べたところ、これらの作業を全部自分たちで行った場合でも最低で5万円~10万円程度の費用がかかることがわかりました。(どこまでの権利に法的効力をもたせるかによって金額が変動します)

しかし、筆者のように「そんな作業は自分でやれないよ~」という人の場合、行政書士などの法曹関係者に頼ることになります。そこでの依頼料が更に上乗せされることになり、そうすると軽く20万円は超える計算に。

これらの公正証書を作成してようやく渋谷区に証明書を申請。証明書の発行には渋谷区役所に300円の手数料を支払い、やっとパートナー証明書を手に入れることができます。

違う見方をすれば、我々同性愛者は、ヘテロセクシュアルの方々が婚姻届を提出すればその瞬間に一発で認められる諸権利を社会生活で獲得しようと思ったら、これだけの作業とお金が必要になるということですね…。差別とまでは行かないまでも、もともと我々のような人間の存在を前提としていない法制度というものの限界も改めて感じました。

■世田谷区と渋谷区、一体どちらが同性愛者のニーズに合っているか

ここで勘の良い方はお気づきでしょう。

自分たちで公正証書を作り、婚姻で得られる諸権利をしっかり得てから同性パートナー証明書の発行を区に申請……これって、同性パートナー証明書そのものには特に何か効力があるわけじゃないじゃん!ということです。

悲しいことに、その読みは「正解」なのです。

渋谷区の場合、同性パートナーであることを理由に不動産を貸さない等の差別的な扱いをした場合、その事業者を区が公開する制度があるそうですが、これは公開のみで特に罰則規定もありません。

世田谷区のパートナー証明書に至っては、何か差別的な扱いを受けたときにその証明書を見せ、配慮を「期待する」ためのものであり、効力という面に関しては渋谷区のものよりも弱いのです。

そもそも、ある新聞社が渋谷区内の不動産会社数件にインタビューを行ったところ、「同性愛者であろうがお客さんはお客さん。最近はルームシェアをする若者も多いし、都会に出てこない若者も多くて部屋の方が余っているような状況で、同性愛者であることを理由に入居を断るなんてことはしたことがないし、今後もするつもりはないのに…」という旨の内容を困惑気味に語っていたのが個人的には非常に印象的でした。

公正証書の作成という高いハードルがあるが、法的契約関係を結んでいる渋谷区と、法的契約関係は発生しないが、パートナーとして証明書のみはしてくれる世田谷区。どちらが同性愛者のニーズに合っているのでしょうか。

筆者個人的には、世田谷区の方法の方がニーズには合っているのではないかと思いました。世田谷区の場合は、法的契約関係を欲しているカップルは、パートナー証明書とは別に自分たちで渋谷区と同じように公正証書を作成すればいいわけですし、パートナーとしての証明だけで良いという当事者たちは、無料の証明書のみを発行してもらえば良い。ここの選択ができる方が柔軟にニーズに対応できるのではないでしょうか。

■この件で浮き彫りになった現行制度の限界

それにしても今回の件で思ったのは、ヘテロセクシュアルが婚姻届を提出すれば一発で認められる権利を獲得するのに、私達は実に複雑な作業と多大な金額がかかるということ。

同性婚の賛否はいろいろあると思いますが、法律や行政の仕組みがやはり我々のような存在を前提としていないというのは、ある時大きな歪みとなって顕在化するということがよくわかった一件でした。

この件にかかわらず、私たちもより多くの選択肢の中からライフスタイルを選べるような、より良い世の中になっていけばと思った次第でした。



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いらっしゃいませ!英司と申します。中央線カルチャーが好きで、東京・高円寺に在住の会社員。日々感じたことから、少し役立つ(?)情報まで、いろいろ発信していければと思います。

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