どうも!英司です。
GWが終わり、若干5月病気味な最近ですが(苦笑)、皆様いかがお過ごしでしょうか。

今日、アメリカのオバマ大統領が米大統領では初めて同性婚支持を表明しました。
オバマ大統領は、これから本格化する大統領選の主要な争点の1つとしたいようです。
日本よりも同性愛そのものが社会的な問題として取り扱われる場面が多いアメリカとは言え、一方であの国では未だにゲイバッシングが日本の比にならないほど酷く、同性愛を嫌うキリスト教保守派も多いことを考えると、オバマ大統領としてもかなりのリスクは覚悟の上での支持表明だったことでしょう。

素直に、その勇気を讃えたいですし、これから大統領選が本格化するにつれて、この問題がアメリカで国民的議論へと発展した上で、国民に広く認められることを願って止みません。

僕は基本的に同性婚、もしくはそれに準じたパートナー制度の創設には肯定的な立場です(自分はその制度を利用するかどうかはわかりませんが、ライフスタイルを決める選択肢は多い方がいいと思うので)。

確かにパートナーとして社会的な契約を結んでいるカップルとそうでないカップルでは、認められる権利がまったく違います。財産相続・共有、相手が危篤状態のときに面会ができる権利、共同で家を借りたり買ったりする権利・・・並べるとキリがありませんし、これらの権利は現時点で日本の同性愛者には一切認められない権利ということになります。

ただ、この論争が起きるときにあまり論じられないのが「義務」の方です。
忘れてはならないのは、「義務」を遂行して初めて上のような権利が認められるということです。
では、婚姻に際して発生する義務とは一体どんなことでしょうか。まず一番始めにあるのが「貞操を守る義務」です。

つまり、浮気をすれば別れることができるだけでなく、慰謝料の請求なんかもできてしまうわけで。
ここ、本当に大丈夫でしょうか(笑)。ゲイと言えども男たるもの、、、肉欲は理性を超えて一度や二度の浮気をしてしまうという話はあちこちで頻繁に聞く話です。

その度に浮気して離婚して、また結婚して、浮気して、離婚して・・・なんてことを繰り返す友達が何人も発生したら、まさにご祝儀何回あげなきゃいけないんだよ!こっちが破産するわい!!ってな感じになってしまいそうですね(笑)
っていうかその前に、浮気する度に慰謝料払っていたとしたら、そっちはそっちで破産しそうですが(苦笑)

愛は永遠に続くものではありません。
熟年離婚をする夫婦がたくさんいることからもわかるように、年老いても愛が続くとは限りません。それでも簡単に投げ出さずに辛抱して一緒にいなければならないという事態も発生するでしょう。

これらの義務を守ることができて初めて、結婚によって認められる権利を享受することができるわけです。

男女の場合でも、近年の「おひとりさま」ブームなんかにも見られるように、結婚にメリットを感じず、敢えて一人で過ごす人だって増えているわけで、結婚の「魅力」と「リスク」をよく見極めた上でライフスタイルを選択する必要が出てくるでしょう。

実際に、日本で同性婚を実施しようとするとかなり高いハードルを超えなくてはなりません。
日本には戸籍制度があって、日本で言う結婚は基本的に「家と家」が契りを交わし、具体的には女性が男性の家に入るということが前提となっているため、これを同性同士に当てはめようとすると大変な混乱が起きてしまいます。

どっちがどっちの家の戸籍から外れるのか、という問題に始まり、夫婦別姓が認められていない日本の場合、どっちの性別を名乗るのかという問題も発生します。
ゲイリブと呼ばれる人の中には、アメリカではこうだから、ヨーロッパではこうだから、だから日本でもすぐこうなるべきという言い方をする人も多いと思いますが、事態はそんなに単純ではないと思います。

そもそも欧米には戸籍なんてものは存在しませんし、男女のカップルでも結婚と言えば基本的には「個人と個人」が契約を交わすことで社会的に認められるという色彩が強いため、同性婚を適応するにしても、制度設計上は日本ほど導入に困難を要することもないでしょう。

また、日本には憲法24条第1項が存在します。

その内容はというと・・・

「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。」

というもの。
つまり憲法に「両性」と書かれてしまっているため、結婚制度が同性愛者に開放されるのには憲法まで変えなくてはなりません。

ちなみに、じゃあ「憲法24条は悪だ!」となってしまう人がいると困るので、少々脱線しますが少し補足をさせてください。



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日本国憲法は、皆さんもご存知の通りアメリカ合衆国によって作られました。
当時GHQ民政局にベアテ・シロタ・ゴードンという若い女性がいて、彼女がこの24条を起草したと言われています。

しかし、想像してみてください。戦前の日本を・・・。
男女の結婚は、基本的に村と村、家と家の契約です。つまり、両親や村の長老が決めてきた相手と結婚する他選択肢はなく、特にこの場合女性がとても弱い立場に置かれていました。相手がどんな不誠実な相手だったとしても、女性から別れや結婚拒否を申し出る権利はなく、女性が合意しない結婚相手だとしても、自分の意思とは関係なく結婚させられていた時代が長く続いていたわけです。

その時代は日本のみならず、アジア全体がそういった結婚様式をとっていました。
なので、「両性の合意のみに基づいて」というのは、どんなに家族や他人が勧めようと、本人同士の合意がなければ結婚しなくてもいいという、当時の日本やアジアの情勢から考えると大変画期的な憲法だったことは言うまでもありません。

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少し話は脱線しましたが、本線に話を戻しましょう。

このように、日本にはまだまだ超えなくてはならないハードルがある上、こうした同性婚や同性愛者に対する権利という問題が、政治的課題であるという認識すら薄いのが現状です。

まぁここまでいろいろと、まるで同性婚否定派であるかのような物言いでツラツラと文章を書き連ねてしまいましたが、それでもやっぱり、僕は同性婚を支持したいです。

自分が利用するかしないか、ということと、その制度が社会的に認められるかどうか、という問題はまったく別だ、という考えだからです。(←ココ重要!!)

同性愛者当事者で、同性婚反対派の人からよく聞かれる論調の1つにこんなものがあります。

「自分は別に同性婚には興味がないし、あったとしても使わないから反対」というもの。
僕としては、これはすごくナンセンスな意見に思えますね。

もちろん、同性愛者の中にも保守的な右派という人はたくさんいますし、彼らが「それは日本の伝統的な家制度を崩壊させるものだから反対だ!」というのなら、それはそれで1つの意見として尊重されるべきだと考えています。彼らは彼らなりに社会や国家というものを考えた末での答えなわけですから。

しかし前出の「自分は利用しないから反対」という意見には、いつも首をかしげてしまいます。
ライフスタイルを選ぶ選択肢が増えることに反対するのは少し理解に苦しみますし、「自分が使わない=同性愛者全員が必要としていない」という論理の飛躍がいささか疑問に思えます。

それに、結婚生活の実体がいくら血みどろでそんなに楽観的なものではないとしても、同性婚が社会的に認められるということそれ自体にとても意味があると思います。
例えば自分が自分のセクシュアリティに悩む思春期や青春期の子ども時代を思い出したとき、もしあの時社会的に同性間での結婚が認められていたとしたら、もう少し孤独感は軽減されていたんじゃないかと思います。

そういう生き方を選択できる社会だ、ということを知らしめることで、一番セクシュアリティについて悩む世代にいる仲間を少しは楽にできるんじゃないかと思うんです。
「あなたの生きる社会は、しっかり同性愛者の存在も認めている社会ですよ」っていう、そういう広報的効果の一躍を担う「媒体」として、同性婚が一番の広告塔になるんじゃないかと、そういう風に考えています。

まだまだ課題も多いこの制度。
しかし、日本でもまずは社会的な議論の俎上に上がることを願います。



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どうも、英司です。
連休中、更新が滞ってしまってすみませんでした。
このGWは本当に楽しかった!高円寺びっくり大道芸に始まり、京都、奈良、大阪への旅行、実家への帰省など、たっぷりお休み気分を味わえた連休でした。

と、まぁ連休中の思い出話は置いておいて、今日の本題。

「じゃんけん効果」とは一体なんでしょうか。

明確な定義はありません。ただ、自分が思うに友達関係でこの「じゃんけん効果」という言葉を使う場合は、例えば何か衝突が起きて関係が拗れそうになったとき、「自分のこんな所が悪かったと思う」と自分から自分の反省点を述べれば、それを聞いた相手も自然と、「自分のこんな所も悪かったと思う」と言い出すような、そんな効果を「じゃんけん効果」と呼ぶことにしたいと思います。

長く人付き合いをしていると、当然衝突や摩擦を生む場面はありますよね。でもその度に正面衝突を繰り返していては、あまり大人の友達関係とは言えないと思います。
衝突をすればするほど仲良くなるとか、真正面からぶつかり合うことが真の友達だとか、そういうことを言いたい人がいるのもよくわかります。

でも、限られた自由な時間で心地よい関係を築いていきたいと願う大人同士の関係においては、そういった「正面衝突」は必ずしも合理的なやり方ではないし、限られた時間の多くを衝突や小競り合いに消耗してしまうのはとてももったいないことです。

争いを回避することも大事ですが、人間関係なんて不測のものですから、それでも感情的になってしまったりだとか、回避しようと心がけていても、どうしても結果的に衝突してしまうことはきっとあると思います。自分にだってそんなことはたくさんあります。

でも、そこから修復できるか、できないかのボーダーラインが、まさにこの「じゃんけん効果」にあるのではないでしょうか。
以前、僕も仲の良い友達3人の間で、少しの、本当に今思えばくだらないことで関係が拗れそうになってしまい、しばらく3人それぞれが連絡を取らなくなっていたことがありました。

少しだけ時間を明けて久々に当事者のうちの一人の友達と会い、なんとなくぎこちない会話をし終えた後、勇気を出して言いました。「今、3人の友達関係が拗れてしまっている感じがするけど、もしかするとそれは自分のせいかもしれない。あの時、あんな風に言うべきじゃなかった。気まずい思いをさせてしまってごめん」と。

そうするとその友人は言いました、「いやいや、今回の件はそもそも自分があんなこと言い出さなければ・・・。悪かったね。」と。
そうしたら本当に、それまでなんとなく避けていた「あの件」についてお互いが思ってること、反省してることをまさにじゃんけんが始まったかのように言い合い、最終的にその日会っていた友人の彼は笑いながら「んー、まぁ、今回のことはみんな責任があるし、もしくは誰も悪くなかったってことだよ。ケーキじゃないけど責任は3等分ってことで(笑)」と言いました。

「責任は3等分」って、すごく良い言葉ですよね。

僕らはその日のうちにもう一人の彼にそれぞれが連絡を取りました。それぞれ自分が悪かったと思うことを述べると、幸いにして彼もこの「じゃんけん効果」を持ち合わせていた人で、事なきを得て無事にそれまで通りの心地よい関係に戻ることができました。

自分が正しいと信じることは大切です。ただ、「正面衝突」をしたがる人には、この「じゃんけん効果」が期待できないことが多いのも事実です。むしろじゃんけん効果を期待してこちらが何か反省点を述べたり、譲歩しようものなら、今度は「全面的に俺が正しいと認めろ!」という方向に話を持っていかれたり、「ほらみろ、俺が全面的に正しくてお前が全面的に間違っているんだ。だから他の項目についても全部謝罪しろ!!」と、さながら戦後補償を求める中国や韓国の外交手腕のような態度に出られることさえあります(笑)

でも、これじゃあ人間関係として成立しません。
残念なことに「正面衝突」派の人は、人としての「強さ」を勘違いしてしまっていると思えて来さえします。
「何かしらの衝突が起きたとき、100%どちらかが悪くて、100%どちらかが正しいなんてことはありえなくて、大概にして両者が良い面、悪い面のどちらも内包しているものなんですよ」なんていう生易しい諭しなんて、そういうタイプの人にはまったく無駄です。
「正面衝突」派の人は、こちらがくたびれて「もうどうでもいいよ、わかったわかった私が悪ぅござんした」となるまで執拗に議論を吹っかけてきます。

学生の頃なら、こういうタイプの人に一人ひとり議論をする余裕もあったかもしれませんが、社会人として少しでも自由な時間を豊かに暮らしたいと願うようになってからは、早々に議論を切り上げて「はいはい私が悪かったですぅ」となることが増えたと思います。

「正面衝突」派の人は、それで満足しているかもしれません。「俺は議論をしたことによってこの人とまた更に仲良くなれた」と。

しかし実際は違います。その逆です。

そもそも最初から譲歩の余地のない言い争いなんて「議論」とは呼びませんし、そうやって相手を屈服させて満足気かもしれませんが、それは相手が一歩大人だからか、もしくは呆れられてるかであって、必ずしも「正面衝突」派の論破した内容を納得しているわけではないことも特筆すべきことでしょう。

やっぱり自分としては、「じゃんけん効果」を期待できるような相手との方が、心地よい関係を築いていけると思うし、実際に現時点で自分が良い関係を築けている友達のほとんどが、「じゃんけん効果」を持ち合わせている人ばかりだと認識しています(実際にそんなに多くの人と衝突状態になったことがないからわからないけど、肌感覚的に・笑)

実際、緊張状態にある場面で「自分のこんなところが悪かったと思う」と切り出すことは、すごい勇気のいることです。同じ経験のある人ならわかりますよね?
じゃんけん効果の深層心理の部分って、きっとその「勇気」に反応して起こる効果だと思うんです。
この人はこんな状況でこんなことを言ってる。自分も突っ張ってちゃいけないなと、ある種の「共感」が生まれて起こることだと思うんですね。

しかし、そこの「共感」が欠如してるとやっぱり正面衝突になっちゃう、この件について謝ったんなら次はこの件について謝れ!その次はこの件だ!!と。

相手がどれだけの勇気を振り絞って自分から反省点を述べたか、少しでもそこの「共感」できたなら、そんな理不尽な要求は突きつけませんよね。

あまりに「正面衝突」派の人が増えてしまうと、今度は本来「じゃんけん効果」を持ち合わせているはずの人まで、「1つでも自分が悪いと認めたら全部について謝罪を要求されるから、自分は絶対悪いと認めない!」と、態度を硬直化させかねないと思います。

なので、自分のことじゃなくても「正面衝突」派の人と「じゃんけん効果」を持ち合わせている人との小競り合いは見たくありません。あんまりひどくなると、「じゃんけん効果」の人までその後の人生を「正面衝突」派として生きていくことになるかもしれないから。その両者の衝突で割を食うのは、絶対に「じゃんけん効果」の方の人ですから。

自分自身、本当に気を付けていかなければと思います。
自分自身も、少し負けず嫌いなところがあり、昔はよく議論なりなんなりをしてきた口ですから。
前出の仲の良い3人が関係を崩してしまったときの話にしたってそうです。
あの時、もし誰か一人でも「正面衝突」派の人がいたとしたなら、絶対に関係は修復されず、そのまま互いに連絡も取らず、それぞれが単なる疎遠な人に落ちていたことでしょう。

少しの見栄とかプライドとか負けん気が、人間関係を崩壊させかねないのが、大人同士の友達関係なんだと。
自分自身も肝に銘じていきたいと思います。そして、人に「共感すること」。
これって簡単なようですごく難しいですよね。でもその「共感」こそが素敵な人間関係を作るキーワードになってくるんだと思います。




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2012.04.24 10 years after
どうも、英司です。桜の季節も終わり、これからどんどん陽も長くなり、夏に向かっていく季節ですね!
僕は毎年GWあたりから夏に向かっていくこの季節がとても好きです。
このGWは京都、奈良、大阪に遊びに行くことにしました。京都の嵐山や、奈良の飛鳥、大阪のミナミなど、行きたいところ、会いたい人もたくさんいます。

仕事の方も3月の年度末から4月の年度初めにかけて会社のWEBページのリニューアルやパンフレット作成があり、もうバタバタで忙しく過ごしていました。

そんな中、プライベート用のアドレスに1通のメールが届いていました。
その内容はと言いますと、「育英友の会(いくえいとものかい)」というところからの同窓会への招待メールでした。

この「育英友の会」とは何かと言いますと、日本学生支援機構が行なっている奨学金制度「育英会」の交流会のことでして、僕も大学在学時、この機構から奨学金を借りて大学に通っていました。

この機構から奨学金を借りている人を対象に、同じくこの奨学金制度を利用して大学や短大、専門学校に通っている仲間との交流を目的とした合宿イベント「育英友の会のつどい」(通称「つどい」)というイベントがありまして、僕も大学1年・18歳の夏休みに、このイベントに参加したのでした。

この合宿イベントは今でもとても心に残っている思い出です。
バスに乗って、初めて会った同年代の仲間たちと、最初は緊張しながらも次第に打ち解けて行き、合宿所まで行きます。みんな共通点はただ「育英会のおかげで学校に通えていること」、「同じ世代の仲間であること」と、「東京の大学や短大、専門学校に通っていること」だけでした。(全国的なイベントなのですが、学校の所在地別に合宿所が分かれているため、僕は東京ブロックでの参加でした。)

そこから男女混合の班に分かれて簡単なグループワークをして、合宿のテーマを設定します。テーマと言っても簡単なものでも全然かまわなくて、「同じ世代の友達たちとネットワークを作る」とか、「人見知りを克服して、初めて会った人たちと心地よい関係を作れるようになる」とか、そういうテーマを設定します。

そして今度は部屋に分かれます。部屋はできる限り班がバラバラになるように組まれていて、それぞれの部屋であいさつなどを済ませたあと、再度ホールに集まってクイズ大会などの簡単なゲームをやったりして、緊張を解きほぐしていきます。

翌日は朝からグランドにあるBBQ場でそれぞれの班でカレーづくりやBBQを楽しんだり、外で動き回ったりして1日を過ごします。

そして最終日は班のみんなで合宿所を掃除して、お別れ会的な懇親会をしてプログラムが終了と言った感じ。それらのイベントがありつつも、折りに触れてディスカッションやグループワークの時間が何度も設けられていました。

何より、この合宿プログラムで一番メインになるのは班での「ディスカッション」と「グループワーク」です。BBQなどはむしろこのディスカッションでみんながより自分をさらけ出せるために親睦を深めるものだったと受け取れるかもしれません。

ディスカッションもそんなに難しいことを話し合うわけではなく、自分はどんなことを大切にして毎日を過ごしているか、とか、昔こんなことがあって今の自分があるとか、それぞれが「自分」というものをさらけ出していくと言った感じ。グループワークもほとんどゲームのような感じで楽しめるものばかりでした。

BBQやゲームも楽しかったけど、やっぱり自分にとってこの「つどい」で一番いいなと思ったのがディスカッションの時間でした(ほとんどの参加者がそう言っていました)。
本当に話題はざっくばらんで、特に制限は設けていません。3年生や4年生の参加者から就職活動のことを聞いてみたと思えば、「みんなにとって友達って何?」みたいなテーマに移ったりして、本当に多種多様なディスカッションがあちこちの時間に織り込まれていました。

当時僕は18歳で、大学にもまだ入学して数ヶ月ということもあり、今よりずっと謙虚で、ずっと感性も柔らかかった時期にこのイベントに参加できたことが、本当に良かったと思います。いろんな人のライフヒストリーや日頃大切にしていることを聞いて、自分自身もそういったことをさらけ出したりして。
あの頃出会った仲間の一部とは今でも交流があったりします。

とても良いイベントだったので、翌年の大学2年の夏も参加しました。

しかしこのイベントを通して学んだことが、意外なところで役に立つことになります。

それはちょうど3年生、20歳の夏休み。僕の通っていた大学の創設者が井上円了という人で、その人は新潟県の山古志村出身でした。
そんなわけで僕の通っていた大学は新潟県と深い繋がりがあり、実際に上京組にも新潟県出身の人なんかがすごく多かった印象なのですが、山古志村と言えば2004年の秋に新潟中越地震で甚大な被害が出た地域です。

その翌年の夏に、大学の有志たちで震災ボランティアに行こうという企画が学内で立ち上がり、大学がバスを出し、向こうでは長岡市の協力のもと、旧山古志村役場に宿泊できる準備が整ったとのことで、有志の募集がありました。

僕は特段世のため人のためというタイプではないんですが、何グループにも手分けして1グループあたり5日間のボランディアなので気軽に応募できるし、ちょうどサークルの合宿とも被らなかったし、何より、良い経験になりそうだと思い、この有志に応募することにしました。
そして、2005年・大学3年生の夏に有志メンバーとして旧山古志村(現長岡市)に入りました。
途中までバスで移動し、そこからは4WDに乗り換えて旧山古志村地域に入ると、美しい風景であっただろう山なりに作られた棚田は崩れ、半壊状態の集落が現れました。全壊した家もあちこちにありました。ホントに衝撃的な光景でした。

有志メンバーは同じ大学の学生とは言え、マンモス校だったため誰一人として知ってる人はいません。

ちょうど、前年、前々年の夏に参加した「つどい」と同じような状況で、既視感がありました。

到着して1日目は、なんとなくぎこちない会話が一言二言ありつつ、村役場の宿泊所に案内され、全体の集会とボランティアに向かう場所の割り振りがありました。

しかしその時から僕は、「せっかく同じ大学に通っている仲間同士としてこれから5日間、復興の手伝いをするのだから、この出会いを大切にしたい」という気持ちが芽生えていました。

そして自分の中でも「つどい」のときの記憶を呼び起こし、積極的に声がけを行なったり、班長を勤めたりしているうちに、どんどん雰囲気が柔らかくなっていくのがわかりました。
きっと、本当はみんな同じように思っていたんでしょう。ただ、誰かがあの緊張した空気に一石を投じる必要があったんですね。

それから毎日、半壊状態になって荒れ放題の民家の瓦礫撤去作業をしたり、未だに耐震工事に入れてない荒れ放題の学校の整理や掃除をしたりして、あっとい言う間に5日間が過ぎました。

終わる頃には名残惜しい気持ちすらありました。
「つどい」とは違い、あの集まりの大義は「ボランティア」という目標が明確にありました。ただ、特段ディスカッションの時間を設けなくても、ちょっとした心遣いで普段の学生生活のことを話し合えたり、特にキャンパスの違う学生同士でそれぞれのキャンパスライフを紹介し合ったりして、最終的にはとても良い関係を築けました。(ちなみに、この時一緒だったメンバーの一部とも、今でも親交があったりします)

同年代の全然知らない仲間と、寝食を共にする。という経験を大学1、2年の夏休みにできたことは、自分にとってとても大切な財産になったんだなと実感したときでした。

あの「つどい」に参加したのが18歳のときです。
僕は今年度の末に28歳になります。

約10年も前のことになるって、ちょっと信じられません。確か「つどい」でも、10年後の自分はどんな人になってる?みたいなディスカッションがあったと記憶していますが、正直何も想像がつかないと言った感じでした。

しかし今、自分はその「10年後の世界」を生きているわけですね。
あの頃のような純朴さや感性の柔らかさは失われてしまったかもしれません。でもそれと引き換えに獲得したものだってたくさんあると思います。

あれから10年なんて、ちょっと信じられないけど、「つどい」の同窓会へぜひ参加しに行きたいと思います。「つどい」の同窓会では、あらゆる参加年度の人が集まるらしいので、2003年度の横の繋がりだけでなく縦のつながりもできそうです。

そしてその時に、山古志村のボランティアで、「つどい」での経験がとても役に立ったという話をして来ようと思います。

自分にとってこの10年は、本当に感慨深いものでした。
みんなはどんな変化を遂げているのか、楽しみです。



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どうも、英司です。
最近本棚を整理していて、セクシュアリティ関連の本でとても衝撃的だった一冊を発見したので、また読み返しています。
その本はと言いますと、普段から親交のあるライターの竜超さん著の『虹色の貧困』という著書です。


虹色の貧困―L・G・B・Tサバイバル!レインボーカラーでは塗りつぶせない「飢え」と「渇き」虹色の貧困―L・G・B・Tサバイバル!レインボーカラーでは塗りつぶせない「飢え」と「渇き」
(2010/07)
竜 超

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竜さんご自身も、これまでにゲイコミュニティに貢献されて来た方ですが、そういう立場でありながら、これまで行われてきた大学人などの「センセー」たちが論壇で主張してきた当事者不在のアカデミックなゲイリブ活動や、その活動の“やり方”が本当に今の時代に適合しているものなのかという検証がなされている部分が非常に画期的で、読み応えのある一冊です。

竜さんは、あの手この手で不安を煽り、過激なゲイリブ活動へと若者を勧誘していくようなやり方を「虹色カルト」とまで言い切っていて、読んでいて気持ちよくなる一方、長引く不景気や一般社会の若者が抱える「生きづらさ」を例に取り、果たしてその「生きづらさ」は、本当にすべて自分のセクシュアリティが原因なのか?を問いかけています。

社会全体に蔓延する若者の生きづらさとはそんなに質が違うものなのか?
自分のセクシュアリティに原因を求めるあまり、本来複合的に様々な問題が絡み合って感じている「生きづらさ」を「セクシュアリティ」のせいにすることで思考が停止してしまっていて、問題の本質が見えないが故に過剰な被害者意識を持って苦しんでしまっていないか?

という問いかけをしている点は目からウロコ。
セクシュアリティの問題1つにしても、「センセー」たちが煽り、主張する問題よりも深刻で、かつ華やかなゲイカルチャーの影に隠れてしまっている「生存権」にかかわる問題を扱っていて、とても考えさせられる著書です。

この本を読んで、とても腑に落ちたのは、やはりこの本のキーワードとなる「生存権」という言葉がしっくり来たことです。
ゲイリブ活動において重要視されているなと思うアジェンダの1つに「同性婚」というテーマがあります。
僕もこの権利は認められるべきだという立場ではありますし、若かりし頃ゲイリブ活動に参加していたときも同じ立場ではありましたが、この話を論じるとき、どこか雲をつかむような、なんとなく実体のなさを感じていたのも事実です。

その「実体のなさ」は、やはりこの問題が今の日本の同性愛者にとって緊急を要するものではなく、もっと解決すべき問題が山積している現実があることが、その「実体のなさ」の正体だったんだと思います。

「生存権」という問題を考えるとき、それは常に「貧困問題」と隣り合わせになっています。
「セクシュアリティ」を論じるときも同じで、それが「生存権」すなわち「貧困問題」に直結してしまう問題から順に解決していく必要があると思います。

「セクシュアリティ」がそのまま「貧困問題」につながる一番の例として挙げられるのが、「トランスジェンダーと雇用」の問題でしょう。

見た目の性別と戸籍上の性別が違い、なおかつ性適合手術を受けていないトランスジェンダーの方にとっては、性別が記載された役所の公的書類(年金手帳など)の提出が求められる正社員での就職は難しく、正規雇用への扉すら閉ざされてしまいます。
それはそのまま貧困の問題へと発展してしまいますし、公的書類が明るみに出るのを拒否し続け国民健康保険へも未加入の場合、満足に医療機関にかかることさえできなくなってしまいます。
これこそまさに「生存権」にかかわる問題です。

竜さんは著書の中で同性婚の議論を「確かに必要ではあるが、それはお腹いっぱいご飯を食べた人が、デザートをくださいと言っているよう。お腹を空かせた人の胃袋を満たすのが先。」というような表現をされていました。

これは極端な例だとしても、社会を良くするために何かをしようとするとき、こうした「リアリティ」が大切なんじゃないでしょうか。「リアル」は、街へ出て、いろいろな人と出会い、真摯に「人」と向き合わなければわからないことだと思います。

大学などに守られた「論壇」から、上から目線でモノを言っていても「リアル」は見えて来ないものだと思います。「ゲイリブ」という言葉は使い古されてしまって手垢がついてしまっているから言い換えるけど、様々な人と真摯に向き合い、共感し、考えることが、最終的に自分たちにとって生きやすい社会を作ることになるんじゃないかと思います。

まさに寺山修司の「書を捨てよ、町へ出よう」です(笑)

「町」とはこの場合、一般社会のことではないでしょうか。
僕もこう見えてサラリーマンをしています。幸いにして、得意なことや興味のあることを活かせる仕事に就くことはできましたが、それでもたくさんストレスがあります。また、同じく「会社員」をしている上司、同僚、先輩、後輩を毎日社内で見ています。それぞれにストレスや生きづらさを感じています。

なので、自分の感じるストレスや生きづらさの”すべて”が、セクシュアリティのせいだけではないことは、身体でわかるんです。
週末、二丁目の行きつけのお店に行けば、同じように一週間働いて来た飲み友達が集まります。そこで話される内容は、仕事の愚痴だったり上司の愚痴だったり週末の予定だったり恋愛のことだったりと、大してノンケの赤ちょうちんの居酒屋と変わりません。

ただ赤ちょうちんが二丁目のそれなりにオシャレなバーになってて、恋愛の話をするのも相手が男ってことを隠さずに話しているくらいの違いです。
ゲイの辛さを語るときも、ノンケの辛さも理解した上で語るのとそうでないのとは説得力が違います。
だから、どんどん「町」へ出て行きましょう!!
そしてたくさんの経験をして、たくさん修行をして、職能などで得た経験をいつかゲイコミュニティに還元しましょう!それこそが最も効果のある「ゲイリブ」であると思うし、自分たちにとって生きやすい社会をつくる近道なんじゃないかなと思っています。

まぁそんなところでまた熱く語ってしまいましたが、最後までお付き合いいただきありがとうございました。

それでは!!


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どうも、英司です。
お花見の季節ですね~。
この週末にお花見の約束があるので、すごく楽しみです。

先日、大学の頃のゼミの先生と同窓会の打ち合わせがてら飲みに行く機会があったのですが、とても感慨深いものがありましたね。この春で僕も社会人生活が丸5年経過し、6年目に突入しました。

自分にとってもこの5年は、本当に激動の5年間でした。大学を卒業するときは想像をし得なかったことが次々と起こり、時には老け込むくらい大変な時期があったり、一方で時にはキラキラとした威勢の良いときもあり・・・。いまはその両極端のどちらにも振り切れず、それなりに安定した生活を送っています。

この5年間で自分にとって一番大きな出来事は、やっぱり実家を出て自立したことでした。
ちょうど卒業から1年ちょっとした23歳のときに、柏にある実家を離れて高円寺で一人暮らしを始めました。

首都圏に実家のある人ならわかってくれるかもしれませんが、首都圏には独特の窮屈さがあります。
いわゆる「郊外社会」というやつです。
今日は自分も生まれ育ったこの「郊外」というテーマでエントリーを書きたいと思います。

■「郊外」の持つ夢と病理

「郊外」という言葉ほど、その時代によってその使われ方が180度変わった言葉はないかもしれません。
僕たちの親の世代、高度経済成長の日本と共に生活を向上させて来たいわゆる団塊の世代が結婚をし、家を持つ年齢に達する頃から、東京都下部や神奈川、千葉、埼玉などで急速な都市開発が進められ、「郊外」という社会が人工的に形成されて行きました。

当時の「郊外」のイメージは、東京に通勤するサラリーマンが住めて、尚且つ緑もあり、同じ時期に建設された小奇麗な家やマンションが立ち並ぶ夢のマイホームタウン。そんなところでしょうか。
住宅販売会社やディベロッパーもこうしたイメージを前面に押し出し、広告展開を繰り広げてきました。
また、これは母親から直接聞いた話なのですが、親の世代が子どもの頃に流行った言葉があるそうです。それは・・・

『アメリカンウェイオブライフ』

だそうです。

つまり、古い封権的な日本のイエ社会からは切り離された、アメリカ型の自由で豊かな生活を送ることを善しとする社会的な風潮が存在し、その象徴的な流行語が『アメリカンウェイオブライフ』だったそうです。
また、当時日本でとても流行したアメリカのテレビドラマがあったそうで、その番組は『パパは何でも知っている』という作品だったそうです。

この作品は、いわゆるアメリカの郊外の家庭を舞台にした、豊かな生活を送るハッピーなファミリーの物語だったそうで、そこに描き出される「家族」の像は、当時の日本のそれとは180度異なり、家族サービス精神たっぷりな「何でも知ってるパパ」と、専業主婦をしているママ、そして子どもたちの物語だったそう。

冷戦体制下、アメリカはこうしたプロパガンダじみた宣伝戦略を巧みに使い、「豊かで自由なアメリカ」を世界中に演出して回っていたようです。

しかし、まだまだ貧しさも残る日本で暮らしていた僕の両親は、子どもの頃にこうした作品を目にしていたわけで、そこに描き出されるアメリカ式の郊外での豊かで幸せな生活に感銘を受けて、すごく単純に「自分も大人になったらこんな幸せな暮らしがしたい」と考えたことは想像に難くありません。

つまり、『アメリカンウェイオブライフ』を実践する舞台装置が『郊外』だったというわけです。

しかしこうした『郊外社会』に一つの大きな分岐点が訪れます。そのきっかけとなったのが宮崎勤が起こした連続幼女殺害事件でした。
この事件が起きたとき、自分もまだ幼稚園児くらいのときだったかと思いますが、本当にいたたまれない残忍な事件でした。

その残忍な事件の舞台となったのが、まさに『夢のマイホームタウン』であるはずの『郊外』だったのです。
事件を起こすまでも宮崎は不可解な言動が目立っていたそうです。
確かに、事件後宮崎の部屋が公開された際、そこかしこにぎっしり詰め込まれたアニメのビデオが注目され、『オタク』という言葉が一般的になったのもあの事件がきっかけでした。

そして、何が彼のような常軌を逸した人間を生み出したのか、何が宮崎の暴走を引き起こしたのかということについて、多くの論客が意見を言うようになりました。

その主たるものはやはり、それまで夢の生活の舞台として機能していた『郊外社会』に隠れていた闇の部分が噴出した。という意見が多くを占めるようになっていきました。

郊外社会には、「独特の均質性」と「他人への無関心」という2つの要素があると、郊外出身の僕は考えています。

「均質性」という言葉を使うと、よく地方出身者の人には「地方の方がずっと均質だよ」と言われてしまいますが、実は郊外社会が持つその均質性は、地方と同じか、それ以上のものだと思います。

僕の住んでいた千葉県の柏も、60年代~70年代に急速にベッドダウンとしての都市開発が行われた典型的な「郊外」でした。同じ時期に大規模な都市開発が行われるということは、一気に多くの住宅が同時に完成し、一気にそれらが販売されるということです。

その家を購入する層というのは、だいたい同じ経済階層で、だいたい同じ年齢で、多くが東京の会社に勤めるサラリーマン。ということになります。
この均質性は親たちだけでなく子どもにも伝播します。こうした均質な社会の中では、「ちょっとした違い」がとても際立ってしまいます。特に子どもの場合、そうした「ちょっとした違い」がいじめの原因となることもあります。

その「均質性」は、つまりは「価値観の均質性」にも直結します。「ホワイトカラーの父親しかいない街」では、「学校的な価値観」が絶対視されることになります。
田舎であれば、学校の成績が悪かろうが、家のやってる農家やら商店やらの手伝いをすれば大人から褒められるという成功体験を得られるかもしれません。
しかし、郊外にはそのチャンスはありません。
学校でお利口さんでいることが絶対的な価値となります。

成績が振るわない子や、学校での人間関係をうまくやれなかった子は、何も成功体験を得られないまま、トラウマ”しか”体験しないままに大人になってしまうケースが出て来ます。
宮崎は、まさにこのケースに該当していたようです。
(もちろん、だからと言ってあんな残忍な犯行が許されるはずもありません!)

そして更に悪いことに、郊外社会というのは恐ろしく「他人に無関心」な社会でもあります。
そこに地方のような地域コミュニティは存在せず、マンションに暮らしていても隣の人の顔も知らないなんてことはザラ。現にうちの実家もマンションですが、隣の人の顔は最後まで知らないまま僕は家を出てしまいました。

なので、宮崎のような人間がいても、あれほどの大事件を起こすまで誰もその存在に気付かないということが起きてしまうのが郊外社会なわけです。

つまり、ある一つの価値観が絶対視され、その価値観にそぐわなかった人間は排除される上、一旦排除されると、そこから這い上がる術がない社会であると言えるし、本来であればそこに救済の手を差し伸べるはずの「地域社会」すら存在しないのが『郊外』という社会だと言えるかもしれません。
(そもそも狭義の意味での「社会」すら成り立っていないとも言えるかもしれません)

翻って、僕もあまり先生たちが求めるような優等生ではなかったため、幼少期・思春期・青春期を振り返ってみても、窮屈さを感じたことが幾度もありました。

僕の場合ヤンキーだったわけでもないし、反抗的な態度を取っていたわけでもなかったし、むしろクラスでは地味な方だったけど、勉強がすごくできなかったし、昔は他人とのコミュニケーションをうまく持つことができず、かつ大人しいタイプだったため(今じゃ考えられない!笑)「何を考えているかわからない子ども」とよく言われてきました。

思春期や青春期に差し掛かってくると、自分ってゲイかもっていう疑念も浮かんでくるわけですが、必死にそれを揉み消しました。こうした郊外社会での生き方に慣れてしまっていた自分にとって「普通でいること」から一歩踏み外してしまうと、もう永遠に奈落の底へ突き落とされてしまうんじゃないかと考えていたからです。

なので、郊外社会の一員であることと同時に、セクシュアルマイノリティ当事者として、二重の当事者性、二重の窮屈さを味わってきた思春期・青春期でした。

だからこそ、親元を離れて自分の好きな街に暮らせるようになったことは、自分にとって非常に大きな出来事でした。
社会人になってお金も溜まってきて、どこへ暮らそうかと、以前から魅力を感じていた中央線沿線で家を探しに行きました。

中野、高円寺、阿佐ヶ谷、荻窪、吉祥寺、、、どの街にも個性があって、本当に選ぶのに苦労しましたが、その中でも一番いろんな人種が雑多に暮らしている高円寺が自分には最も魅力的な街に映りました。つまりは、一番『郊外的ではない街』が、高円寺だったんです。

郊外によく見かけるチェーン店資本がほとんど参入しておらず、個人経営のカフェやバー、古着屋さんや飲食店が雑多に入り乱れた商店街を訪れて、「この街なら自分らしく伸び伸びと暮らせる」と、確信しました。

それでも、青春時代にはたくさんの楽しい思い出もたくさんあります。その思い出と重なる部分について言えば、僕は自分の地元も結構好きだったりします(笑)。
でも、郊外社会と自分が幼少期・思春期に感じてきた窮屈さはどこかで繋がっているものだと感じていたので、今回このようなエントリーを書かせていただきました。

最後までご精読ありがとうございました。




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